2017年5月 5日 (金)

晴海の魅力を考えるワークショップの成果がまとまりました

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晴海トリトンスクエアのマネジメントを担っている晴海コーポレーションの方々から声をかけていただき、昨年から晴海地区のまちづくりを手伝っています。渦中の築地と豊洲に挟まれていて、オリンピックの選手村が建設されつつあるところです。

大きな依頼は、選手村の跡地活用も含め、晴海地区全体で2万人がこれから増える予定で、そこのコミュニティをしっかりつくっていくような、地区全体のエリアマネジメントの仕組みを構築したい、ということ。

再開発業界の方や、エリマネ業界の方はよくご存知のとおり、晴海トリトンスクエアは2000年代初頭に完成した巨大な再開発プロジェクトで、そこには完成後の街をマネジメントしていこう、と先駆的にエリアマネジメントの仕組みが立ち上がっています。大丸有ほどではないのですが、のちに続いたあちこちのエリアマネジメントのお手本の一つにもなっているところです。

その経験を生かしつつ、これから建て込んでくる超高層開発の新しい住民を巻き込みながら、何ができるだろうか?ということがこのプロジェクトのお題です。

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トリトンスクエアの最上階から選手村の予定地を見たところ。これだけの土地に超高層開発が建ち並んでいきます。
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 日本国内では珍しく人口が大量に流入するエリアのまちづくりで、普段は人口定常ー人口減少地域のまちづくりばかりやっているので、その落差を噛み締めながらプロジェクトを進めています。とはいえ、エリアマネジメントはつまるところ、新しい人間の関係をどう作っていくか、ということに限るので、昨年度は市民、学生、プロが参加する3つのタイプの異なるワークショップを開催して、どういう人たちが、どういうモチベーションでこの町に関わろうとしているか、ということをまずは掘り起こすことをしていました。
饗庭の研究室だけでは手に負えないし、一つの大学で抱え込むつもりもなかったので、ワークショップには芝浦工大の佐藤宏亮さんと、明治大(当時)の泉山塁威さんにも入っていただきました。

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ワークショップはこんな感じで開催

半年弱の期間で8回のワークショップはなかなかハードでしたが、はっきりとわかったことは、国内の他の場所のどこよりも、若い世代が多い、ということでした。市民向けのワークショップはトリトンスクエアの公開空地で開催したのですが、通りすがりの子連れの若いお父さんやお母さんが興味深そうに話しかけてきたり、ワークショップの参加者に「昨年に引っ越してきました!」という方が多かったりで、個人的にはとても新鮮な経験でした。

1年目の成果は、ワークショップで得られたアイデアをまとめたタブロイド新聞のようなものを発行することにしました。レイアウトデザインはcotonaの片岡照博さん。個人的にはこの見開きのページが気に入っています。

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今年度はこれまで地区で活動を続けてきた「晴海地区ビジョン推進会議」という会議体と一緒になって、いくつかの具体的なことに取り組んで行こうと考えているところです。

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2017年4月19日 (水)

現代の都市をハワードの目線で読んでみよう/「明日の田園都市」の書評

SD2016に、山形浩生さん新訳の「明日の田園都市」の書評を寄稿しました。
改めて読むと発見の多い、いい本(名著ではなく、フツーにいい本)だったので、こちらにも再掲しておきます。
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現代の都市をハワードの目線で読んでみよう
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■旗色が悪い田園都市?
 1902年に刊行された原書で提唱された「田園都市」は、ル・コルビュジェの「輝ける都市」とともに、19世紀に誕生した近代都市計画が目指した代表的な都市像であり、20世紀にはその影響を受けた新都市が世界中に作り出された。わが国でも、戦災復興が落ち着いたあたりから新都市建設が本格化し、千里ニュータウン、多摩ニュータウン、つくば研究学園都市、といった都市が次々とつくられた。現在にいたるまでの大きな新都市建設運動の原典の一つが本書である。一方で本書はジェイコブスによる「アメリカ大都市の死と生」において徹底的な批判を受ける。ジェイコブス以降の都市論において本書の旗色は悪く、時代遅れで使えない理論、という刻印を押されていることもある。特に人口減少時代を迎えたわが国においては、新都市をつくる機会そのものがなくなっている。もはや使われることのない、古き良き時代の古典、現在の本書への評価はそんなところだろう。
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■短波ラジオからボックスセットまで
 我が国の近代都市計画が始まった1888年から現在まで、本書は何回も翻訳されている。最初の翻訳は1907年、内務省の官僚によるものである。昔の若者が短波ラジオを通じて海外の音楽を聴いていたようなもので、雑音が多い情報を頼りに譜面を書き起こしていた時代。まだまだ田園都市は限られた人のものであった。2回目はその60年後、1968年にSD選書として刊行された。それまでの間、田園都市が忘れ去られていたわけではない。当時の技術者たちは、田園都市以降に世界各国で建設された新都市の知識を貪欲に取り入れ、国内の新都市設計に活かしていた。シンプルな装幀をまとったSD選書は、音楽を安価に庶民に配るシングル盤のようなものとして、この原典を再び流通させた。3回目はその30年後の2000年に、本書の訳者である山形浩生がインターネット上に公開したものである。音質の悪いシングル盤に換えて、音源をリマスターしたものをナップスターのように公開した、ということなのだろう。そしてその16年後、未発表音源も加えたボックスセットのような本書を私たちは手にすることができた。まるでビートルズの音源のように、繰り返しリイシューされる本書を、どのように使えばよいだろうか。
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■近代のパタンを組み合わせる
 本書が何度もリイシューされるほどの長い間、近代都市計画は続いている。そして印刷技術と情報伝達技術の発達によって、私たちはその蓄積にたやすく触れることができる。本書もその一つである。もちろん、新しい技術の開拓の余地はあるが、新たな都市問題に直面した時に、古今東西の近代都市計画の技術のパタンを召喚し、それを組み合ることによって、課題解決の糸口を見つけることができる、私たちはとっくにそういう時代に入っているのではないだろうか。求められるのは、パタンの蓄積とそれを見渡す力、それらの編集力である。たとえば四畳半の空間をつなぐようにクルドサックをつくってみたり、自然公園の中に生物の動線をわけるラドバーンをつくってみたり、編集と組み合わせによって、たくさんの課題解決ができるのではないだろうか。
 そう考えると、本書の使い方ははっきりしてくる。田園都市をいつでも召喚可能な「今日の田園都市」としてあなたの手持ちのパタンにいれる、ということである。
 そのためにも、私たちは、まず本書と、その後にできたレッチワースを切り離す必要がある。評者は本書を自身の住む多摩ニュータウンと照らし合わせながら読んでいたのだが、そこには、共通点を見出すのが難しいほどの差がある。訳者も指摘するように、ジェイコブスをはじめとする田園都市への批判は、出来上がった空間への批判であることが多く、本書への正当な批判でないことが多い。後世の批判に目を曇らせることなく、本書に込められたパタンを丁寧に理解し、身に付けるとよいだろう。

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■人々がつくる都市の原理
 本書の帯には「住民の立場から考えられた初の都市計画論」という文句が踊っている。この「住民」という言葉は、ある場所に住み続けたい人たちのことを想起させるが(まさにジェイコブスが根拠としたものである)、すこし語弊がある。ハワードが田園都市を考える手がかりとしたのは、稼いで消費する経済的な主体として、あちこちに移動し集住する「人々」である。「市民」というほど立派なものでもない、よい暮らしを求める当たり前の人々。近代によって誕生したこうした人々が、少しよい方向に判断を積み重ねていくときに、どういう都市を求めるかを描き、それに投資して、近代の歯車を少し早く回しましょうよ、と主張したものが本書である。
 近代の歯車が何回転かした100年後の現在において、世界のあちこちで、そして日本でも、それなりによい都市が出来上がっている。ハワードの提案は、新都市ではなく、人々が当たり前の小さな判断を積み上げて作り上げた現代の都市の原理を言い当てているようにも読める。つまり、今の「それなりによい都市」を改善する時に、ハワードの目線は有効であり、本書はその重要なパタン集にもなりうるのではないだろうか。

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2017年4月 3日 (月)

グローバル都市東京を学ぶツアーマップができました

東京都都市づくり公社から寄附をいただいて、3つの講座を開いているのですが、最も組み立てに頭をひねっている授業が「グローバル都市東京研究」という授業です。
これは、学生たちが海外(アジア)の学生に東京を案内するスタディツアーをデザインして、1日案内をして、議論をするというもの。
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2日間のツアーはこんな感じで終わります。手前の慌てた感じに注目。
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単なる観光ツアーや、ディープ東京ツアーのようなものではなく、大都市を考える論点が表出しているようなところをまわり、考える。そしてついでに英語に関する色々な力を身につける。たぶん、他の大学には無い、オリジナルの授業ではないかと思います。たとえば1週間くらい、海外で当地の大学とじっくり合宿をして、アーバンデザインの提案をつくるようなプログラムはそこそこあります。あるいは、海外の都市に行ってひたすら都市ツアーをするようなプログラムもそこそこあります。狙ったのはその中間くらいです。
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今年は東京の墓問題に切り込んだグループがありました。
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3年間で合計9つのツアーが企画されました。ネタもたまりましたので、ここらで地図にまとめようかーと思い、カイシトモヤさんの事務所(担当は前川景介さんと原田祐里江さん)にお願いして素敵な地図を作ってもらいました。
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ツアーは全部で9本。秋葉原キャンパスを使っているので、都心ばかりです。
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ここに置きましたので、ご興味の方はダウンロードください。
同じコンテンツのweb版はこちらからも見ることができます。
2017年、18年、19年と、もう一セットこの地図ができるところまで続けたいと考えています。
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2017年3月28日 (火)

2016年度の饗庭研究室修士論文

今年は4人の学生が饗庭の研究室を修了しました。4人とも学部は違う大学だったので、大学院の間の丸々2年間のおつきあいです。鶴岡での街路デザインのワークショップを一緒に動かしたり、綾里での博物館を一緒に作ったりした学年、ちょうど都市づくり公社の寄付講座がスタートしたので、参加型デザイン実習(大学の池に夕涼みの場所をつくったり、モバイル図書館をつくったり)、グローバル都市東京研究(アジアの学生を東京に案内するスタディツアーを企画したり)、都市空間プランニング実習(多摩ニュータウンにやたら詳しくなったり)をたっぷりと経験した学年になります。
それぞれ自分なりに研究テーマを固めて、面白い論文を仕上げてくれました。
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廣田眞美子さんは、空き家特措法の制定後に、全国の自治体がどのような政策に取り組みつつあるのか、横断的な実態調査に取り組み、特に空き家やその跡地を「まちづくり」に活かしている施策の実態を調査しました。空き家に関する政策はほっておくと「特定空き家」を特定して壊すことが最大のイベント、あとは適当に空き家バンクでも作っておきましょうか、という感じになりそうな中、空家跡地の活用についての施策を展開することがこれからの大事なポイントになるんじゃないかなあ、と考えているところで、そのあたりの実態調査に取り組み、全国の自治体から20くらいの空家跡地活用支援の制度を抽出し、その中でも饗庭も関わっている鶴岡のランドバンクの取り組みを詳細に調べました。鶴岡のランドバンクは一つ一つの事例の個別的な状況にあわせてやりかたを細かくチューニングして解いており、その多様さを客観的な手つきで明らかにしました。他の全国の空家跡地活用支援の制度も、いずれ調べてみたいなあと思っていますが、廣田さんの修論としてはここまでです。
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長崎舞子さんは、空き家などを活用して住宅地の中につくられる拠点のようなものを「弱く開かれた場」と定義して、調布市や稲城市といった大都市郊外の住宅地の中にあらわれた「弱く開かれた場」の実態を詳細に明らかにしました。この手のケーススタディにおいては、例えば在宅介護の支援施設のリストや、NPOのオフィスのリストを使って、網をかけていくように絞り込んでケースを抽出することが普通ですが、それだと特定の機能に属するものしか抽出されない、ということになってしまいます。ですからこの研究では、特定の地域を歩いて探し、長崎さん流のこだわりで見つけた事例から共通点を探しながら「弱く開かれた場」を定義していく、という何とも根気のいる作業に取り組みました。最初から最後まで、自分の問題意識を掘り下げながら、つねに仮説を描き続けるという作業ですね。住宅地が成熟するとさまざまな機能を持った、機能を複合させた空間が地域に現れてき、そこには都市計画の議論、土地利用計画の議論が少し発生するのですが、その一端を明らかにすることができたように思います。
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張鈺さんは、中国から留学してきた80年代の若者が、留学後に日本の都市の中でどのように住宅を選択していくのか、を明らかにしました。外国人居住の問題は、例えば新大久保や川口の芝園団地など、特定の国籍の人が集中したところ=何らかの問題が発生していそうなところがこれまで対象になってきましたが、多くの中国の人は集中せずに、普通に隣人として多く暮らしているわけで、彼らはどこからやってきて、どのような考えで居住地を選択しているのだろうか、ということに注目をしました。最初は日中友好会のようなところにお願いをして、在日中国人のアンケート調査を行おうかと企画したのですが、どこにも断られてしまい、最終的に張さんが編み出したのは、入国管理の手続きにやってきた人を捕まえて、ひたすらインタビューを重ねていく、という方法で、80年代生まれの29人の人のデータをとることができました。そんなことを調べた統計はもちろん存在しませんので、貴重なデータがとれたのだと思います。結論は「中国の人たちは、日本の人たちとそれほどかわらず住宅を選択する」という、拍子抜けするほどシンプルなもの。来日当初は日本語学校のある新宿や池袋に集中しますが、その後は入学した大学の近くに転居し、やがて就職や結婚等にあわせて動いていく。大きく言えばそういう流れですが、細々とした移動に中国人ならではの理由が透けてみるようでもあり、まだまだ展開できそうな研究でした。
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稲葉美里さんは饗庭の立地適正化計画の調査にくっついてきたりするなかで「地方の工業都市とコンパクトシティ」というテーマで研究に取り組みました。地方都市にとって工場(といっても、重工業、加工業から流通業までいろいろなのですが)は、朝晩の通勤行動を大発生させたりするなど、都市構造の重要な要素。しかし、コンパクトシティの政策、さらに言えば都市計画に組み入れるにはなかなか厄介で、都市計画であまり明確な位置付けをもちません。では地方都市に立地した工場が、市街地の形成にどのような影響を与えたのか?ということに取り組んだ研究です。全国的なアンケート調査をしたほか、こまかなケーススタディとしては岩手県の北上市にお世話になりました。調べてわかったことは、やはり都市計画において工場はあまり丁寧に扱われていない、ということ、しかし、北上の工場にアンケートをしたら、それなりに市街地に立地する寮や家賃補助の仕組みを持っている、市外から工場に就職した人がまちの中に住む後押しになっていそうだ、ということがわかったので、施策化するとしたら、工場それぞれの持つ住宅支援策に介入し、住宅地の再編成につなげていくということはできそうかも、という結論でした。工場と都市の研究は、いわゆる企業城下町の研究は蓄積があるのですが、現代の工場は複雑な挙動をします。そこに少しだけ切り込めたかなあ、という研究です。
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いくつかは、学会に発表をしようと準備をしているところなので、ご期待ください。

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2017年3月19日 (日)

フォトモンダージュをつくるワークショップ手法

まちづくりの現場で写真を使って合意できる景観を探り出す「フォトモンダージュ」という方法を使っています。
これまで、大船渡市綾里地区の防潮堤のデザイン(2012年)、山形県鶴岡市の街路整備(2015年)、某区の都市計画道路の沿線の街並み(2017年)、の3つの現場で使ってみました。時々思い出したように使っているだけですが、ちゃんとまとめたことがなかったので、その方法と成果をまとめておきます。
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方法はとても簡単で、対象の景観の写真を準備しておき、その上に街並みなどのパーツの写真(例えば路面のパターンや街路樹のパターンなど)を重ねていき、それを参加者の方に見ていただきながら、みなが「これだ!」と言える景観写真をつくり出すというもの。PCの中にAdobe社のPhotoshopを入れておき、Photoshopのレイヤー機能を使って重ねる写真を切り替え、それをプロジェクターで映写しながら進めます(上図がオペレーションの画面)。事件の目撃者に犯人の顔のモンタージュ写真を作ってもらうのと同じ要領です。Photoshopの本来の使い方ではないのかもしれませんが・・・
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上図は大船渡市綾里地区で防潮堤のデザイン案を検討した時に準備したもの。こうしたデザインのバリエーションをあらかじめphotoshopのレイヤーに仕込んでおき、パチパチ切り替えながら話しを進めていきます。なおこの資料は、震災後に岩手県が刊行した防潮堤のデザインガイドラインから作ったもの。震災後は、こうしたもののデザインの検討にあまり時間をかける余裕がなく、少ない時間の中で漁師さんたちにデザインのオルタナティブを理解してもらう必要がありました。岩手県のガイドラインはとてもわかりやすくまとめてありましたが、それでもそれを見ながら議論をすると時間がかかりそうでしたので、ガイドラインの中身をフォトモンタージュのパーツで作り、それを見ながら決めていきました。
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上図が案の変遷です。途中で樹木を足したり、緑化にしたり、行きつ戻りつしましたが最終的にはシンプルなものに落ち着きました。少人数の小さな集落で開いたワークショップでしたので決まるのは早く、7人で30分くらい検討をして、案を決めることが出来ました。
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上図は鶴岡の街路整備のデザイン案の検討。ここでの検討は、震災復興と違って緊急性がなく、街路整備のデザインを決めるだけでなく、まちづくりに発展するような検討が求められました。つまり、正確に決めるためのフォトモンダージュではなく、イメージを膨らませるためのフォトモンタージュです。ややラフな、考える余地、発想の余地をたくさん残した素材を準備し、それを組み合わせながらデザインを考えていきました。イメージを膨らませるために、モンタージュのパーツをどれくらい準備するのか、(たとえばベンチの種類なんてそれこそ無限にあるわけで・・)苦心しました。
この時は4つのテーブルに分かれて検討し、それぞれ1時間もかからないで幾つかの案をテーブルでまとめることができました。ワークショップの結果からデザイン要素を抽出して整理し、これの次のワークショップでは絞った案を模型にし、さらに2回議論をしてデザイン案を決定しました。このワークショップは議論がたくさん出る、にぎやかなワークショップ(ともすれば意見が多すぎてまとめるのに苦労するワークショップ)だったのですが、一つの画面にグループの人たちが集中するので、具体的な成果が速くまとまる方法だなあ、ということをあらためて感じました。
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上写真は2週間前に開催した某区の都市計画道路の沿線のまちづくり懇談会。ここでは都市計画道路の整備にあわせて、周辺の街並みを検討しています。道路整備にあわせて沿道の用途地域を変えるかどうか、地区計画をかけるかどうか、という検討につながっていく懇談会です。
住宅街にできる広い復員の道路であり賛否が様々であること、そして道路に土地を買収される地権者さんたちも参加する会合であることから、鶴岡のワークショップとは異なり、事前に行政とも十分にオルタナティブ(準備するパーツ)を準備してのぞみました。前二つのワークショップは研究室で準備しましたが、このワークショップはコンサルさんが準備しましたので、よりプロっぽい正確さ、精密さを持ったモンタージュになりました。
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3カ所での経験を並べてみると、それぞれ位置付けや、結論の抽象度、そこで得られるべき合意の強度のようなものは違うので、それなりにチューニングはしています。しかし、どれの場合も、参加者が集中し、具体性を持った議論を行い、そしてその場で決まったことが確認できる、という意味では共通していました。
下図は、最終的に決まったものを模造紙に映写し、それにさらに意見や修正点を手書きで書き込んでいるところ。こんな感じで、デジタルとアナログを重ねていくこともでき、合意形成のサポートツールとしては結構つかえるなあ、と感じているところです。
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2017年3月12日 (日)

多摩ニュータウン落合・鶴牧・唐木田住区から学ぶ(報告)

昨日は多摩ニュータウンの演習の発表会でした。
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午前中は有志のまちあるきツアーののち、多摩八角堂で展示会、そしてミニシンポジウムという流れ。対象地は主に鶴牧・落合住区と多摩センター地区で、多摩ニュータウンの中興の開発と言われています。
1965年に住宅供給を主目的に始まった多摩ニュータウン開発が、地元多摩市の反発で一時休止している間に、日本中の住宅が足りてしまい(1973年)、多摩市の要求を解決しつつ、量から質へと大転換したころの開発です。成瀬さん曰く、例えば千里や泉北のニュータウンは、「住宅が不足している」という時代の勢いのまま作りきったそうですが、多摩ニュータウンにおいては、一時休止期間があったことで、結果的にそこでじっくり計画を練ることができたとのこと。
午前のまちあるきは多摩センターからスタートし、以下のルート。
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■みどころ1;多摩センター駅近辺
 1964年に検討がスタート、1977年案(市浦都市開発建築コンサルタント)が現在のベースに/駅前広場や歩行者専用道路は大高正人事務所の設計。直線的なエッジのたった計画/ペデストリアンデッキ周りのサイン計画は我が国でも先駆的に取り組まれたもの。剣持デザイン事務所の手による/ペデストリアンデッキ下の店舗スペースなどは「稼ぐインフラ」の先駆的なものとしても再評価できる。
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■みどころ2:多摩センター駅近辺の公益施設・商業系・業務系の建物
 公益施設(郵便局、警察、NTT、東京ガスなど)は広域拠点性を確保するために先行立地。建築ガイドプランを作成し建築誘導/商業系はデパート・ホテル・レジャータウン の三位一体戦略/企業立地に際しては各社に自ら可能な住民サービスを求め、地域に対する空間整備を依頼。例えばベネッセのスタードームなど。サンリオピューロランドも、当初は公共貢献だった。
■みどころ3:パルテノン多摩+多摩中央公園
公園の地形と一体になった文化施設。パルテノン多摩設計は曽根幸一。公園設計はあい造園設計事務所/地形は自然地形ではなく、もともとこのあたりは最大で40m近く山を削ったところ/当時の公園内建築物の建築建ぺい率制限を地下化することでくぐり抜けた。
■みどころ4:プロムナード多摩中央
量から質を目指した時代の象徴的な住宅開発の一つ。街路上に1f住戸の1室が飛び出すプラスワン型/設計は坂倉建築研究所/プラスワン型はその後ベルコリーヌ南大沢、コスモフォーラム多摩などでもわずかに展開するが、惜しくも日本には(さらには世界のどこにも)定着しなかった。現在でも人気が落ちない住宅の一つ。
■みどころ5:タウンハウス落合・タウンハウス鶴牧
量から質を目指した時代の象徴的な住宅開発の一つ。低層高密を目指し、自動車と住環境の共存も目指した/設計は山設計工房、マヌ都市建築研究所/タウンハウスは多摩ニュータウンの中にいくつかあるが、これはその中でも最高峰の一つ/プラスワン型よりは民間にも展開するが、大展開したわけでは無い。現在でも人気が落ちない住宅の一つ。
■みどころ6:鶴牧東公園、鶴牧山
諏訪、永山、貝取、豊ヶ丘と違い、住区全体に「大観構造」が意識されるようになった/4ヶ所の近隣公園をつなげて「基幹空間」とする/残土を積んだ「鶴牧山」は周辺住民のシンボルともなり、まちびらき直後からここを会場とした住民が企画するジャズコンサートが開かれる/映画やテレビドラマのロケ地としてもよく使われているそう。
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■みどころ7:奈良原公園・宝野公園
晴れた日には遠く富士山を臨むことができ、桜の季節はまさに絶景/二つかかっている人道橋の一つは公園の計画前に作られたもの、富士山軸に合っていないので、新しくもう一つの橋が架けられた
■みどころ8:エステート鶴牧4・5
タウンハウススタディから発展させた新型中層住宅群/同じ間取りを積層したタイプでなく、多様な間取りを積層した/設計は環総合設計/タウンハウスでなくとも豊かな売れる住宅を作れることがわかったので、結果的にタウンハウスを駆逐してしまった。
■みどころ9:南部近隣センター
最寄り品の商店を中心に構成された近隣センター。店主の代替りや、廃業によって、店舗が入れ替わり、NPOやカフェが入居するようになる/シェルター・掲示板などを一体化した「かきわり壁」。
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惜しげもなく原図を地面に敷いて解説をスタートする成瀬さん
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午後のシンポジウムは、東北被災地への黙祷からスタートし、中島直人さんからは大高正人論の中での多摩センターの意味(群造形から、検見川や金沢ニュータウンのセンターとの比較まで)について、田中暁子さんからは新住宅市街地開発事業の解釈と都市デザインについて、松本真澄さんからは公団の晴海住宅(都市型)+阿佐ヶ谷住宅(郊外型)に次ぐ、第二のピークが多摩ニュータウンの鶴牧・落合にあるのではないかということ、武岡暢さんからは都市社会学者が郊外住宅地という枠組みにとらわれていて、都市という枠組みでニュータウンをとらえていなかったのではないか、ということについで問題提起がありました。
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シンポジウムの風景。会場はJS多摩八角堂。
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後半の論点は3つにしぼりました。
まず、この時代の多摩ニュータウン開発(鶴牧・落合と多摩センター)は「郊外住宅地」ではなく「都市」をはっきりと作ろうとしたのではないか、ということ。計画を練り直す中で多摩センターの位置付けがどんどん大きなものになっていき、そもそも新住宅市街地開発事業は住宅地だけを開発する事業制度だったのに、都市を開発していったこと、それは歴史的に見ると、多摩市がニュータウン開発を止めた時に、「住宅だけでなく、産業の場をつくってほしい」とはっきりと意思表明をしたことが少なからず影響していそうなことが議論されました。
二つ目は、なぜ柔軟なデザイン変更や、多摩センターの駅前に立地した施設にデザイン調整や公共貢献などが可能になったのかという点。これについては、全面土地買収をする新住宅市街地開発事業であったがゆえに、地主がいないから、自由にデザインを変更することが可能であったこと、そして、プランナー側が地主として事業者に注文をつけることができたことが議論されました。
三つ目はこれからについて。かなりよい住宅ストックが集積されているので、世に言う「オールドタウン問題」はあまり起きそうにないのだけれども、近隣センターについては手術が必要そう、多摩センターについても、何らかの「ものがたり」が必要そう、ということが議論されました。
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シンポジウムは90分しか時間をとっていなかったのですが、ああ、これは180分いけたなあ、と少し後悔しています。
来年はこの授業は、いよいよ京王堀之内のライブ長池地区を対象にする予定。饗庭の地元ということもあって、今から気合を入れているところです。来年は180分くらいやってみようか・・・と思っています。

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2017年3月10日 (金)

大学院生を募集しています

ブログにはこういうことを書いたことはないのですが、今年はポスターを外注して、いい感じのが出来上がってきたので、そのお披露目も兼ねて、院生募集のお知らせ。ポスターデザインはカイシトモヤさんのroom-compositeです。

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平成30年から、大学院が新しくなります。もともと別の学部にあった「都市政策コース」というところの先生方と一緒になって、新しく「都市政策科学域」という大学院になります。
組織は変わっても、饗庭は変わらず、研究室の学生と一緒になってプロジェクトを動かし、研究室の学生たちが持ち込む研究を一緒に考え、専門の授業(ワークショップをデザインする授業など)を二つ行い、ときどきよその研究室の学生の相談に乗る、という感じですが、組織が新しくなると、いろいろ出来ることも増えるので、平成30年を楽しみにしています。
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平成30年に、どんなプロジェクトを研究室でやっているのか、現時点でははっきりと決まっていないのですが、今年から始めた多摩ニュータウンの再生のプロジェクト、晴海のエリアマネジメントのプロジェクトは、おそらく確実に続いていると思います。そして来年度から人口減少時代の東京郊外の都市整備のあり方(逆区画整理とか?)の研究がスタートしますので、それも30年度もすすめているはず。
そんなことに興味がある方は、ぜひとも受験を検討ください。
悩んでいる方は、いろいろ相談に乗りますので、饗庭に連絡をいただければ。
研究室について、細かなことはここにも出してあります。
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2017年3月 8日 (水)

スポンジ化についての話題提供スライド

2月からスタートした、国土交通省 都市計画基本問題小委員会にて、20分の話題提供の時間をいただきました。
あちこちにレクチャーなどで呼んでいただいたときにお話ししている内容を再編成したものですが、こうした議論を色々な人と共有することが大事だと思いますので、ここに再掲しておきます。スライド+解説テキストの構成です。
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スライド1 まずは人口について。基本的なことですが、人口減少は当たり前のことなので、慌ててはいけないということ、人口の流動が下がって人口動態が読みやすくなるので、きちんと読みきって資源をマネジメントする、ということが基本スタンスではないだろうか、という問題提起です。
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スライド2 そして人口減少に対して、少なくとも都市政策はミティゲーションを狙わないこと(背景にある、婚活パーティーとワンルームマンションがミティゲーション政策の最たるもの)、アダプテーションを狙うべきであることを述べました。
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スライド3 この図もよく使う図ですが、かつては状態1から状態3に移行する際に、人口増加と都市空間の拡大のバランスをとるようにして、過密や過疎の状態が発生しないように都市計画が運用された、これからは状態3から状態1へと移行することになり、同じように人口減少と都市空間の縮小のバランスをとるようにして、過疎や過密の状態が発生しないように都市計画を運用する必要がある、ということを説明しました。
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スライド4 ここからは都市の空間がどのようになっていくのか、ということ。それぞれ「都市をたたむ」で使った図ですが、都市の縮小は上の図のように進むとイメージしがちだが、実際は下図のように、都市の大きさは変わらず、内部に小さな穴が空いていくように空間が低密度化すること、それを「スポンジ化」と呼んでいることを説明しました。
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スライド5 これは拡大期のスプロールと、縮小期のスポンジ化の違いを説明するもの。どちらも土地を持っている人の、個々バラバラの意思決定が集積したものである、という意味では同じメカニズムによるものであることを説明しました。
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スライド6 この表はスプロールとスポンジ化の違いを比較したもの。ゆっくりと変わる、個人が変える、小さな規模で変わ る、様々なものに変わる、あちこち(ランダムな場所) で変わるという特徴を説明しました。
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スライド7 ここからは政策についてのスライド。まずは対極的に、拠点に強く集約するタイプの都市計画と、スポンジの構造にあわせるタイプの都市計画があることを示しました。空き家や空きPREの活用はスポンジ型ですね。そして、これらの重ね合わせ方が大事なんじゃないかという認識を示しました。
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スライド8 これは国交省の政策をおさらいするスライド。小委員会の場では、さすがに説明は5秒で終わらせました。
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スライド9、10、11 この3枚は実践編。9は空き家を使った地域の拠点づくりの例(いつものやぼろじです)、10は空き家の跡地を使ってインフラを作っていこうとするまちづくりの例(いつもの鶴岡です)を解説しました。時間がかかるので、11ではきちんと主体を作っていくことの重要性を解説しました。
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スライド12 こういった取り組みを重ねていくことで、どんな都市構造になっていくのかを概念的に示しました。政府が努力し、コミュニティが最大限に動いたとしても、やがて潮が引くように面的に低密なエリアが出てくる、という将来都市構造です。よく政府が指定する中心と、コミュニティが動く場所がずれていること(公共投資が空振りすること)が問題になるのですが、それを協調的に重ねていくことが大事、ということを申し上げました。

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