2017年2月27日 (月)

多摩ニュータウンの南側プロジェクトを始めました

現在の大学に着任してすぐに多摩ニュータウンに引っ越してきてもう15年ほどになるのですが、ニュータウンは随分もったいないことになっているなあ、と思っていました。
多摩ニュータウンは戦後の都市デザインの粋を凝らした大プロジェクト。どれくらいの粋かというと、実は多摩ニュータウンを作り始めてすぐの1973年に日本の住宅は足りてしまい、住宅不足を解消するというニュータウン建設の大義はなくなってしまったのです。本来ならば事業が打ち切りになっていてもおかしくはなかったのですが、その時にニュータウンの大義は「量から質への転換をとげる先導的プロジェクト」と再定義されます。ですからそこから先は、ただひたすら「質の高いデザイン」を追求してくわけで、2000年頃に「もう住宅建設は民間に任せようよ」となるまで(具体的には住宅都市整備公団や公営住宅を新しく作らなくなるまで)の約30年間、それぞれの時代において、その時代の少し先を読んだデザインの粋が実現化されているのです。
もちろん、未来が読んだ通りに動いたわけではないので、当時は「これだ」と思って作ったもののように時代が進まず、今からみると、一昔前のSF映画を見るような「奇妙な未来」がそこに存在することもあります。とはいえ、その未来は突拍子も無い、ただデザイナーが先走って作ったものではありません。「量から質へ」と「量」が枕詞にくっついているところがポイントで、デザインは常に「量への構え=普遍」を意識したものになっています。つまり、普遍的なデザインをもつ普通でないもので出来上がっているのが多摩ニュータウンです。
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ニュータウンのごくありふれた街角の風景
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しかし、多摩ニュータウンのパブリックイメージは決してよいものではありません。「人工的で非人間的」「ニュータウンからオールドタウンへ」というような言葉が一人歩きし、多摩ニュータウンは時代を象徴したプロジェクトであったが故に、常に時代の最先端の悪口を言われてしまう、そんな損な役回りにあります。
2年前から大学でスタートした多摩ニュータウンを学ぶ授業において、学生が多摩ニュータウンをから既成市街地の府中に向けて、横断的に公示地価を拾ってみる、という作業をやってみたのですが、府中からこちらに向かって、多摩川を越えたあたりから地価ががっくり下がります。普通の町よりもはるかに公園が多く、はるかに交通渋滞の無い町なのに、市場の評価は見事に反転しているのです。
ああ、もったいない、面白いのに。
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そんなことで(ここからが本題)、もったいないなあ、と思っていたところに、日本総合住生活という団地の管理などを主に請け負う会社から、「ニュータウンの遊休施設を使って、周辺の再生をやりたいので、手伝ってくれませんか」と声がかかりました。遊休施設は八角形のインパクトのある外観の通称「八角堂」。この建物も、その横を通っていたので、常日頃からもったい無いなあ、と思っていた建物です。
遊休施設はエリア再生の種地みたいなもので、周辺を再生するときに足りない機能をそこにいれたり、周辺の人たちのソーシャルキャピタルを形成するために、施設の使い方を考えるワークショップをやったり、色々と使うことができます。そろそろ出だしている空き住戸のクラブハウスとして使ったらどうか、住民さんたちがDIYリノベをするときの拠点として使ったらどうか、北側にある公園(これがまた豊ヶ丘南公園という傑作)を使い倒すための拠点として使ったらどうか、やたらとある緑地に農業を仕掛けていく時の拠点として使ったらどうか・・、ああ、なんて面白そうなんだろう、とそんなことを考えて、昨年の暮れからいくつかの新しい仕掛けをスタートしました。
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八角堂の内部。もともと住宅リフォームの展示場として建てられたもの。妙にハイスペックです。
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まずはプロジェクトのエリアと名前、これまでのパブリックイメージを反転させるために、「多摩ニュータン南側プロジェクト」という名前をつけました。「南側」というと、日本人にはよいイメージですが、多摩ニュータウンはゆるい「北側斜面」に形成され、鉄道と幹線道路の主要インフラが一番低いところ=北の端につくられたので、南側は駅から通く、少しあがったところになります。必然的に地価は落ち、ニュータウンの中でも人気がないエリアになっています。
南側にあって、日当たりもよさそうなのに、喧騒から離れてゆっくり暮らせるのに、ああ、もったいない、ということで、エリアを多摩ニュータウンの南側にしぼり、重点的に展開していくことにしました。
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ロゴも考えました
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そして八角堂。私たちが関わる前から、八角堂再生の最初のプロジェクトとして、ベーカリーが入ることが決まっており、昨年の後半にまずベーカリー「moi bakery」がオープンしました。それだけで、街並みが一新するほどのインパクトがありました。(八角堂は角地にあるので、とても目立つのです)
moi bakeryが1階の2/5くらいの床を使っているのですが、残りの1階部分と2階部分の使い方は決まっていません。ああ、もったいない、ということで、2階部分に大学で「多摩ニュータン南側実験室」を作ることにしました。アーバンデザインセンターを名乗るほどの根性もなく、「研究室」のように研究するわけでもないので、「実験室」です。そこに週に2日間、moi bakeryの開店日ともあわせて、木曜と金曜に、大学のスタッフ(饗庭研究室を卒業して、アトリエ設計事務所で修行を積んだ二人)が、常駐することにしました。大学からは車で10分くらいなので、饗庭も時々実験室に行って、moi bakeryのパンを食べながら仕事や打ち合わせをしています。
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そして人的なネットワークづくり。実験室を拠点にして、南側でいろいろなことをする人のつながりを作ろうと、ワークショップやイベントを重ねています。多摩ニュータウンは市民活動も盛んで、もともと人的なつながりには恵まれたところなので、そのやや強い結び目の一つになろうとしている、ということです。
一つの仕掛けはワークショップで、2月の18日に開催しました。その辺の人たちに集まってもらって、いろいろなアイデアを考えていただく会。もう一つの仕掛けは「多摩ニュータン南側プラットフォーム」というもので、おおよそ月に一度、ニュータウンに関わる企業さんを中心に集まっていただいて、あれやこれやと議論しながら、出来そうな事業を考えて実践していく会。この二つの仕掛けを立ち上げながら、何ができるかな、ということを少しずつ探り出しているところです。
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市民ワークショップの風景
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数ヶ月ほど、取り組みを始めてみてつくづく感じたのは、空間もよし、人もよし、という街だということ。磨きがいのある空間がゴロゴロしていますし、人と企業のネットワークもあっというまにどんどんつながります。ですので、その関係を少し結びなおし、流れを整えることで、いろいろなことができるようになるんじゃないかな、と考えています。
近いところでは、3月11日に饗庭が大学で受け持っている多摩ニュータウンを学ぶ演習の地域発表会を開催します。そして3月18日には「たまらび」という多摩信用金庫がオーガナイズしている雑誌と共催のイベントも企画しているところです。
空き家や空室の調査もスタートしたので、そこで低未利用なあちこちが見つかれば、リノベーションをかましながら、何らかのプロジェクトもスタートできるなあ、と考えているところです。
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最後に、3月11日の地域発表会の案内をつけておきます。こちらもぜひおいでください。
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首都大学東京 都市空間プランニング実習 地域発表会
多摩ニュータウン 落合・鶴牧・唐木田住区から学ぶ
首都大学東京では「都市空間プランニング実習」(東京都都市づくり公社寄付講座)において、落合・鶴牧・唐木田住区を対象とした多摩ニュータウンについての学習・調査を行いました。これまであまりまとまって研究されることのなかった各住区の全体像や、設計の経緯を掘り起こす貴重な機会となりました。その成果を、地域の方々をはじめとする、広く社会と共有したく、地域発表会を開催いたします。ふるっておいでいただけますよう、お願いいたします。
2017年3月11日(土)
9:30-12:00 落合・鶴牧・唐木田地区まちあるきツアー
   (定員20名・要事前申込・無料)
11:00-14:20 成果展示会(会場に成果を展示し、学生が解説します)
   (於 JS 多摩八角堂)(事前申込不要・無料)
14:30-16:00 公開ミニシンポジウム
   (於 JS 多摩八角堂)(定員50名・要事前申込・無料)
   中島直人(東京大学)
   田中暁子(後藤・安田記念東京都市研究所)
   松本真澄+武岡暢(首都大学東京)
   成瀬惠宏(都市設計工房代表)
   饗庭 伸(首都大学東京) 
会場 会場:JS 多摩八角堂(多摩市豊ヶ丘5-5 多摩センター駅徒歩25分)
問合せ・申込先:武岡暢(首都大学東京)
takeoka@tmu.ac.jp 080-4146-9726
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2017年2月23日 (木)

「まちづくり教書」を刊行しました

恩師佐藤滋先生の退職にあわせて、弟子ども(とかわらずパワフルな師匠)で力をあわせて、これまでの佐藤研究室を中心としたまちづくりの取り組みと理論を俯瞰するような本をつくりました。
タイトルは「まちづくり教書」、まちづくりに関わる方々にはなるべく読んでいただき、私たちが自信たっぷりにじたばたしてきたことに、是非とも一撃をくらわしていただきたいと考えています。
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饗庭はこのなかに「まちづくりの広がりと展望」「まちづくりのプランニングと研究者の実務論」「協働型の計画システムとマスタープラン」の3つの論を寄稿しました。一つ目は私なりの歴史の総括と今後への展望、二つ目と三つ目は個別の技術についての論です。
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「まちづくりの広がりと展望」では、下の図を使って私なりの史観を説明しました。この図はもともと昨年の10月末に開催された、石田頼房先生を偲ぶ会にて発表の機会をいただいた時に描いてみたもので、石田先生が中曽根民活あたりの規制緩和の流れを「反計画」とよんで、ややきつい調子で批判されていたのに対して、それ(この図では「都市再生」と呼んでいます)も、まちづくりも、実は近代都市計画を上書きするための同根の兄弟であった、ということを示したものです。兄弟は仲が悪く、兄はどんどん先細っていくような気がしなくもないのですが・・。(最後は弟が介護したりして。)
定量的ではなく、定性的ですらない、ただの挿絵ですが、わたくし自身、これからの仕事を展開していく時の頭の整理に使える図になったのかなあ、と思っています。
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「協働型の計画システムとマスタープラン」では、下の図を作りました。日本の都市計画のマスタープランは分権とともに導入され、かつ、市民協働というスタイルとともに導入されました。もう少し早い時代、たとえば70年代に新都市計画法とともに導入されていたら、マスタープランは違う形になったのでしょうが、導入された時代状況によって、マスタープランが社会においてどのように存在感を発揮するのかが違ってきます。この図は「市民協働」という状況においては、マスタープランは左のような階層的なものではなく、それぞれの分野別のマスタープランに、そのマスタープランを介して繋がっている名前のある主体群が発生し、様々な分野のマスタープランを中心として発生する名前のある主体がつながりあった地域社会が形成されるのではないか、このように捉えた方が、肩の力が抜けてすっきりするのではないか?ということを描いたものです。
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Fig2
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「まちづくりのプランニングと現場論」では、特に新しい図を作らなかったのですが、60年代や70年代ごろに強い影響を与えた「アドヴォカシープランニング」の幻影を葬り去るつもりでテキストを書きました。アドヴォカシープランニングと対置する概念として「まちづくりのプランニング」をあげ、その特徴を「「聞きすぎない、集めすぎない」「一体化しない」「微細な違いを際立たせる」「決定を委ねない」という点にまとめて論じたものです。このテキスト、個人的には都市計画のプランナー論の大事なところの歯車を回したつもりなので、是非ともご批判をいただければ・・
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ということで恩師も引退。2月4日の最終講義は超満員でした。
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2017年2月 5日 (日)

都市計画・まちづくりの10年についての小論

日本建築学会から刊行された「日本建築学会130年略史」に「都市計画・まちづくりの10年」という小論を寄稿しました。
130年を展望するのではなく、ここ10年ということで書いた原稿です。
書きながら、平成に入ってからの都市計画の変化=平成都市計画史を、ちゃんとまとめておかないとなあ、などと考え始めたので、こうした作業をもう少し続けたいと思っています。
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10年間の変化
 この10年間の都市計画・まちづくりの変化をどう捉えればよいか。本稿では、その変化を、官僚であれ市民であれ、人々がよい都市をつくろうと考えて意図して行った変化と、それに対して作用した「意図せざる変化」が合計されたものとして捉える。この10年間の「意図された変化」の主なものを筆者なりに整理をすると、①地方分権と規制緩和の流れ、②人口減少とコンパクトシティ化の流れ、③フローからストックへの流れ、の3つの流れがある。そして「意図せざる変化」は言うまでもなく、この10年間の折り返し時点でもある2011年に起きた東日本大震災である。この未曾有の「意図せざる変化」は、3つの流れを加速させたのだろうか、逆行させたのだろうか。本稿では3つの流れを学界の動向も交えて俯瞰しつつ、そこに「意図せざる変化」がもたらした作用を見ていきたい。
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①地方分権と規制緩和の流れ 
 地方分権と規制緩和の流れはともに2000年頃に枠組みが作られた。筆者はその枠組みを「都市計画の2000年枠組み」と呼んでいる。全国一律の都市計画だけではなく、地域性にあわせた都市計画を定める必要がある、そして地域においてしかるべきプロセスでそれを合意し、地域の主体がその合意形成や運用を担っていく、という枠組みである。「地域の主体」とは民間企業や市民であり、この枠組みは都市計画やまちづくりに二つの「キャピタル」、すなわち民間企業の持つキャピタルと個人の持つソーシャルキャピタルを動員する枠組みであるとも言える。地方分権の枠組みは90年代末の一連の都市計画法改正や地方分権一括法(1999年)などによって、規制緩和の枠組みは都市再生特別措置法(2002年)や90-00年代の一連の建築基準法の改正(天空率の導入、共用部の容積率不算入、民間建築確認の導入など)によって整えられた。
 地方分権の流れは遅い。法制度上は市町村に権限が移譲されたとしても、市町村がすぐに権限を使いこなせるようにならないからである。1999年から始まった平成の市町村合併がひと段落ついたのが2006年であり、この10年間は新しい市町村の形のもとで計画や制度が整えられ、都市計画・まちづくりが取り組まれ始めた時期である。その一方で特にこの10年間の後半期には、「コミュニティデザイン」という言葉に代表されるような、個人の持つソーシャルキャピタルを都市計画やまちづくりのために再編成する取り組みも増えた。学界の動向も、これらにあわせて市町村による都市計画制度の運用、自治組織やNPO等との関係のあり方といった点に研究が蓄積されている。
 ゆっくりと進む地方分権に比べると、規制緩和の効果は速い。2000年代初期の「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」などはバブル経済期前後に仕込まれたものであるが、それら先導的な都市再生プロジェクトに続くこの10年間は、2000年枠組みの影響を直接受けたプロジェクト、たとえば「あべのハルカス(2014年)」や「大手町連鎖型都市再生プロジェクト(2013年〜)」が続々と完成した時期である。そして、都市計画法の規制緩和がこういった大規模な土地に効果を与えた一方で、中小規模の土地には建築基準法の規制緩和が影響し、都市の中心部には中小の集合住宅が雨後の筍のように建つ街並みが、郊外部には3階建ての木造住宅を中心としたミニ戸建ての街並みが出現した。こうした規制緩和の流れに対する学界の動向は活発ではない。民間企業の開発に対して学界ができることは、どうしても事後評価になってしまうからだ。その中から、これから先の規制緩和の手綱を取るための知見が集積されるべきではあるが、現状はやや物足りない。
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 「地方分権と規制緩和」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。地方分権後の市町村の体制が組み立てられつつあるところを直撃したのが東日本大震災であった。特に被災地には規模が小さい市町村が多く、職員が多く亡くなったケースもあり、市町村は機能を失った。地域社会においても、多くの自治組織が高齢化し、力を失っていた。そのため、復興を進める体制を市町村ごと、地域ごとに独自に十分に組むことができず、中央政府や中央から派遣された専門家の関与、あるいはボランティアと称して地域に入りこんだ非専門家の関与を深めることとなり、「地域の主体」のイニシアティブ、あるいはそれらとの調整すら欠いた、乱雑な空間があちこちに整備されることになったし、空間の整備にすら至らず地域のガバナンスがいたずらに混乱しただけのところもある。「たられば」になるが、地方分権が十分になされたあと、例えば災害があと5年遅かったら今とは違う復興が行われていたのではないだろうか。また、一方の規制緩和についてみると、10年かけて蓄積してきた規制緩和の手法、民間のキャピタルを都市計画やまちづくりに動員する手法は、東日本大震災の復興には全く役に立たなかった。その手法が都市が成長することを前提とした手法でしかなかったためである。結局のところ、復興においては民間活力を活用することができず、旧来型の重厚長大な公共事業が息をふき返すことになった。
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②人口減少とコンパクトシティ化の流れ
 人口減少が正確にいつスタートしたのかは後年の統計を待たなくてはならないが、この10年間は人口減少とその時代の都市像としてのコンパクトシティについて、先駆的な取り組みとそれを踏まえた制度化が進み、学界でも研究の蓄積が大幅に進んだ時期であると言える。都市再編(富山市や夕張市など)、公共施設再編(鶴ヶ島市や秦野市など)、空き家(尾道市や鶴岡市など)といった個々の領域ごとに先駆的な実践とその評価が行われ、2014年以降には、立地適正化計画(都市再生特別措置法の改正)、公共施設等総合管理計画、空家等対策の推進に関する特別措置法、地域公共交通網形成計画・地域公共交通再編実施計画(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の改正)などが相次いで制度化されて、市町村がコンパクトシティ化に取り組むための枠組みが整えられた。ただし、整ったのは法的な枠組みだけであって、その中身は市町村のこれからの取り組みにかかっている。①で述べた分権の大きな流れの中でつくられる市町村の枠組みが問われる。その一方で、土地所有単位が細分化した我が国において、コンパクトシティが簡単にできないことも明白である。どのように現実的な、実効性のある都市像を描き、実現手段を組み立てていくかが問われている。日本建築学会においても「人口減少の時代に向けた都市の再編モデルの構築 特別調査委員会」より「CMAによる地域の空間再編と地域経営」という提言が出されている。
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 「人口減少とコンパクトシティ化」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。東日本大震災の直後にも、市街地がまとまって高台に移転するような、極端なコンパクトシティ型の都市像が議論されたように、当初は後藤新平よろしく、災害復興を機に理想の都市像を実現しようという雰囲気があった。しかし現実には、被災した人々は「安全なところに住みたい」と思いこそすれ、「集まって住みたい」とコンパクトシティを指向することはなかったし、都市像の議論が十分にできないまま、防潮堤や防災集団移転促進事業といった個別の事業が降り注いだため十分な調整もされなかった。被災した人々はとうに高台に住居を確保しているのに、行政は低地の旧中心市街地を捨てることができず、そこに公共事業を集中させている、という状況もある。岩手や宮城では、守るべき市街地の無い防潮堤が建設され、低地に誰も住まないような市街地が造成されつつあり、福島の住民は帰還を志向する人、しない人、さらに遠方に避難する人など、いくつかの場所に引き裂かれてしまった。つまり、東日本大震災からの災害復興は結果的に都市の分散を加速するようにはたらき、コンパクトシティ化を加速させる方向にはあまりはたらかなかった。逆にこれを、コンパクトシティという理想を被災者に押し付けず、被災者の個々の意向にあわせたなるべく早い住宅復興を目指した結果である、と積極的に評価することもできる。
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③フローからストックへの流れ
 建築物のフローからストックを重視する流れ、スクラップアンドビルドではなくリノベーションを重視する流れが、この10年間に単体の建築だけでなく、都市計画やまちづくりにおいても大きな流れとなり、研究や実践が進んだ。従来の都市計画はスクラップアンドビルドを行って都市の機能を向上させる手法しか持っていなかったが、小さな空き家を活用して都市施設をつくる、小規模なリノベーションを連鎖させて市街地を面的に変化させる、街路や公園などの公共空間をリノベーションして「パブリックスペース」へと賦活するという方法が発達し、制度に組み込まれた。また、新しく作られる都市空間をストックとしてとらえ、そこの価値が下がらないようにするために、「エリアマネジメント」を組み込むという方法も一般化した。いずれも、人口減少がはっきりとした傾向となり、事業採算性の面からスクラップアンドビルド型の増床型新規開発が成立しない地域や敷地において、事業のリスクを低くし、多くの人が関わってそのソーシャルキャピタルを再編成する手法として期待されていることが多い。その意味では①や②の流れと分かちがたい流れであると言える。
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 「フローからストック」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。災害はこの流れへの向かい風にしかならない。東日本大震災は厖大な数のストックを破壊し、すでに縮小が始まっていた東北の新築住宅市場を一時的に活性化し、ストック利用の市場を相対的に弱めた。また、災害で新たなリスクが明らかになり、それまで安全な場所に建ち、十分な対災害性能を持っていたと信じられていたストックに建替えを迫ることになった。また、東日本大震災以降、多くの新しい開発が「都市の防災性能の向上」を錦の御旗として推進され、スクラップアンドビルドの大義名分として「防災」が前面に打ち出されることにもなった。新規の大規模開発プロジェクトに、近隣住民の避難スペースや非常時の発電装置を備えたものが増えたのである。東日本大震災がなければ、ストック重視の流れはもう少し違ったものになったと考えられるが、つくりあげた都市空間が常に災害にジャッジされるのは我が国の宿命である。これからも災害が起きるたびにフロー重視とストック重視のバランスが規定されていくのであろう。
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アポリアが顕在化した10年間
 この10年間の3つの「意図された流れ」に対し、東日本大震災という「意図せざる変化」が、それぞれの流れを逆行させるように働いた。災害大国である我が国が宿命的に抱えるアポリアであり、これを解けないまま次の時代を迎えることになるのではないだろうか。戦後史の中でこの10年を位置付けてみると、1995年までは奇跡的に災害が少なかった50年間であり、その後のアポリアが顕在化した20年間のピークが2011年以降であると言える。これ以上アポリアが複雑化しないことを祈るばかりである。

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2017年1月28日 (土)

立地適正化計画のジレンマ集を改訂しました

(なんだかブログの更新をずっとしていませんでしたが)

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昨年の5月につくりました、立地適正化計画のジレンマ集を改訂しました。
これは、1月24日に開催された都市計画学会のセミナー「立地適正化計画の更なる展開による持続可能なまちづくりⅡ」で発表の機会をいただきましたので、そこにあわせて改訂をしたものです。
ジレンマ集は研究会をつくって検討しているのですが、昨年一年間に、研究会のメンバーがそれぞれ現場で考えたりしたことが増えましたので、合計33のジレンマを集めたものになりました。セミナーでは33の全てについてお話ししたのですが、さすがに多いし、しゃべりがどうしても単調になってしまうので、次回(どこかで機会をいただけたら)からはもう少し構造的にお話しできるようにします。
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見取り図の表は以下の通りで、ジレンマ集の本体はこのリンク先においてあります。何かのご参考にしていただければ幸いです。
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2016年8月19日 (金)

「津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい」を今年も開催いたします

昨年に開催し、好評を得た、「津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい」を今年も開催いたします。
展示期間は9月12日(月)~18日(日)、9月17日(土)13〜16時には地域報告会を開催します。
会場は大船渡市三陸町綾里にある小さな住宅で、建物自体が、1933年の昭和三陸津波後に綾里地区に高台移転でつくられた「復興地」にある古い住宅です。
ほとんどの方には遠方になりますが、ぜひともお越しください!
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津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい
ryouri-expo.tumblr.com/
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◎会期:平成28年9月12日(月)~18日(日)9時30分~17時(展示)
        9月17日(土)13時〜16時(報告会)
◎会場:大船渡市三陸町綾里 港70-13 ヤマジュウ電気隣空家  
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岩手県三陸海岸に位置する綾里(りょうり)地区は、明治三陸大津波、昭和三陸大津波、東日本大震災の3度の大きな津波の被害を受けてきました。災害後にいち早く復興に立ち上がり、それぞれの時代の復興を積み上げてきた地区でもあり、地区にはたくさんの津波常襲地の知恵が残っています。特に「復興地」とよばれる4カ所の昭和三陸大津波後の集団の高台移転地は、三陸海岸各地の復興地の中でも大規模なものであり、現在までの80年にわたる暮らしを支え、東日本大震災の津波から住民の命を守りました。
これまで5つの大学のチームが、綾里地区の復興をサポートし、これまでの取り組みについて調査を重ねてきました。そこで得た知恵や知識を、地区の内外の方々と共有することをめざして、そこで得た知恵や知識を、地区の内外の方々と共有することをめざした、仮設の博物館を1年前に開設しました。その後に行った調査で得られた新しい情報を加えた、2回目の仮設の博物館を2016年にオープンします。会場は綾里の湊(港)地区の復興地にある、昭和の復興当時の姿を残した復興住宅です。土地と建物に刻まれた復興の知恵を実感しにきて下さい。
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プロジェクトメンバー:池田浩敬(常葉大学/防災)木村周平(筑波大学/文化人類学)饗庭伸(首都大学東京/都市計画)青井哲人(明治大学/都市史)、岡村健太郎(東京大学/都市史)石榑督和(明治大学/都市史)佐藤翔輔(東北大学/アーカイブ)熊倉永子(首都大学東京/建築環境)村上暁信(筑波大学/都市環境)山岸剛(写真家)伊藤暁(建築家)中野豪雄(グラフィックデザイナー)+常葉大学池田ゼミ、明治大学青井研究室、首都大学東京饗庭研究室
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問い合わせ先:首都大学東京 饗庭伸(aib@tmu.ac.jp)
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2016年7月19日 (火)

「自分にあわせてまちを変えてみる力」を刊行しました

少し前のことなのですが、最初の売れ行きが収束したようなので宣伝がてら・・
2007年頃より行っていた、東アジア(韓国と台湾)のまちづくりの調査をまとめ「自分にあわせてまちを変えてみる力」と題した本をつくりました。

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■結構目立つ表紙なので、書店で是非ともお手にとってください。デザインは酒井博子さん
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幾つかの財団の助成金をいただきつつ、日本、韓国、台湾でそれぞれ研究グループをつくり、それぞれの国の歴史を調べ、それを共有した上で、お互いの国の先駆者にインタビューをしたり、現地を見に行ったりする、というフォーマットですすめていた研究で、フラットにお互いのことを学びましょう・・という研究でした。
その後、プロジェクトはひと段落したので、本にまとめることとし、萌文社さんに編集と発行を引き受けていただき、幸運なことに、住総研の出版助成もいただくことができて刊行にこぎつけることができました。
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内容は大きく4つのパートに分かれています。
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最初のパートはこの本のタイトルでもある「自分にあわせてまちを変えてみる力」の解説。韓国と台湾の現場をみると、日本のまちづくりの現場と少し似ていて、少し違う世界が展開されており、その微妙なずれから「これ結構簡単に日本でもできるなあ」と、「やってみたい心」がくすぐられることが多くあるのですが、その「やってみたい心」の源泉となる力は何なのだろう?ということを考えたパートです。
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2番目のパートは「25のカタログ」で、この本のメインディッシュである韓国・台湾のまちづくりの事例集です。一般的な「〇〇市△地区」というような、場所ごとの紹介ではなく、やっている事例のスタイルごとの紹介となっています。下の図はその一覧です。
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3番目のパートは「4人の専門家との対話」で、この本で見てきた事例を眺める視点を、加藤文俊さん、石川初さん、山代悟さん、青井哲人さんとの対話から考えています。この対話では4者4様のモノの見方が得られて、本当に面白かったです。
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最後のパートは、韓国と台湾と日本のまちづくりの歴史をまとめたパートです。3つの国の、どこか似ていて、どこか違う歴史を、図のようなまちづくりの誕生ーモデル化ー一般化の3段階でまとめてみたものです。
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つくっている時は紆余曲折があり、「ホントに出せるかなあ?」という時期もあったのですが、そのぶん、装丁やグラフィックに、いつになく力を入れた(あくまでも、都市計画の本としては、という話ですが)本です。実はこのブログの記事にあるへなちょこ手書きイラストは饗庭の自作なのですが、本体には、酒井博子さんの手によるきりっとしたイラストがたくさん収められています。是非とも書店でお手にとっていただくか、ご注文いただければと思います!
出版社のHPはこちら
amazonはこちら

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今年も「津波と綾里博物館展」を開催します

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2016年7月18日 (月)

立地適正化計画の公開研究会を開催しました

昨年に立地適正化計画の調査を行いました。立地適正化計画は、人口減少時代を迎えて、制度改正としては大きな変化だと考えています。大々的な地方分権がスタートしてから15年くらいが経ち、それぞれの市町村で様々な計画や事業の蓄積がありますから、そのへんにどう組み込まれていくのか、に注目したいところです。
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この研究は、第一生命財団の委託研究として、東洋大の野澤千絵さん、横浜市大の中西正彦さん、首都大の讃岐亮さんと一緒に行いました。とはいっても、2014年に制度ができたばかりで、まだ計画が完成したところは数えるほどしかなく、調査の意図は「どのように計画が作られたか」ではなく、「作っているところがどのように悩んでいるか」ということにあります。
現地をこまごまと自動車で回りきった上で、自治体の担当者の方と意見交換をする、という組み立てで、4つの自治体(釧路、花巻、北上、熊本)を見に行きました。あわせて研究会のメンバーそれぞれが携わっている自治体の情報も共有し、「ここが論点だよね」ということをいくつか抽出して、研究のとりあえずの成果とすることにしました。
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成果としてまとめたのは「ジレンマ集」と呼んでいるものです。
21のジレンマを考え、それを、策定のプロセス(「策定のきっかけ・プロセス設計」「都市構造の評価方法・方針」「都市機能誘導区域の指定」「居住誘導区域の指定」「立地適正化計画策定後の運用・実現手法の運用」の5段階)と、5W1Hのうち、Whyを除く5点、すなわち時期、場所、計画内容、実現手段、主体の項目毎のマトリックスで整理したものが下の図で、全体のファイルはここにおいておきました。
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Hyo
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7月15日の夜に、このジレンマ集を共有し、いろいろな人と議論をする公開研究会を開催しました。完成度の高い報告をするのではなく、とりあえずのラフな成果を多くの人と共有して、一緒にこれから考えていきたいですね、というスタンスで開催したもので、なんというか、フルアルバムを出す前に、先行シングルを出して反応を見る・・というような感じ?、あるいは完成間近の新曲をあえてyoutubeに流出させて、世間の反応を見るような感じ?、あるいは断片的な曲の音源をアップしておいて、世界中のDJがそれをどうつなぐのかを見る感じ?
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Dsc_1537
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そんなことで、50人くらいの方にさっくりと集まっていただいて、みっちりとした意見交換をすることができました。意見交換では、そもそも不要な制度であるという、立地適正化に対する厳しい意見もあり、人口減少の都市計画の時間スパンを問う意見もあり、なかなか面白かったです。

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