2016年8月19日 (金)

「津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい」を今年も開催いたします

昨年に開催し、好評を得た、「津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい」を今年も開催いたします。
展示期間は9月12日(月)~18日(日)、9月17日(土)13〜16時には地域報告会を開催します。
会場は大船渡市三陸町綾里にある小さな住宅で、建物自体が、1933年の昭和三陸津波後に綾里地区に高台移転でつくられた「復興地」にある古い住宅です。
ほとんどの方には遠方になりますが、ぜひともお越しください!
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津波と綾里博物館展 歴史・復興・住まい
ryouri-expo.tumblr.com/
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◎会期:平成28年9月12日(月)~18日(日)9時30分~17時(展示)
        9月17日(土)13時〜16時(報告会)
◎会場:大船渡市三陸町綾里 港70-13 ヤマジュウ電気隣空家  
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岩手県三陸海岸に位置する綾里(りょうり)地区は、明治三陸大津波、昭和三陸大津波、東日本大震災の3度の大きな津波の被害を受けてきました。災害後にいち早く復興に立ち上がり、それぞれの時代の復興を積み上げてきた地区でもあり、地区にはたくさんの津波常襲地の知恵が残っています。特に「復興地」とよばれる4カ所の昭和三陸大津波後の集団の高台移転地は、三陸海岸各地の復興地の中でも大規模なものであり、現在までの80年にわたる暮らしを支え、東日本大震災の津波から住民の命を守りました。
これまで5つの大学のチームが、綾里地区の復興をサポートし、これまでの取り組みについて調査を重ねてきました。そこで得た知恵や知識を、地区の内外の方々と共有することをめざして、そこで得た知恵や知識を、地区の内外の方々と共有することをめざした、仮設の博物館を1年前に開設しました。その後に行った調査で得られた新しい情報を加えた、2回目の仮設の博物館を2016年にオープンします。会場は綾里の湊(港)地区の復興地にある、昭和の復興当時の姿を残した復興住宅です。土地と建物に刻まれた復興の知恵を実感しにきて下さい。
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プロジェクトメンバー:池田浩敬(常葉大学/防災)木村周平(筑波大学/文化人類学)饗庭伸(首都大学東京/都市計画)青井哲人(明治大学/都市史)、岡村健太郎(東京大学/都市史)石榑督和(明治大学/都市史)佐藤翔輔(東北大学/アーカイブ)熊倉永子(首都大学東京/建築環境)村上暁信(筑波大学/都市環境)山岸剛(写真家)伊藤暁(建築家)中野豪雄(グラフィックデザイナー)+常葉大学池田ゼミ、明治大学青井研究室、首都大学東京饗庭研究室
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問い合わせ先:首都大学東京 饗庭伸(aib@tmu.ac.jp)
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Omote
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Ura
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2016年7月19日 (火)

「自分にあわせてまちを変えてみる力」を刊行しました

少し前のことなのですが、最初の売れ行きが収束したようなので宣伝がてら・・
2007年頃より行っていた、東アジア(韓国と台湾)のまちづくりの調査をまとめ「自分にあわせてまちを変えてみる力」と題した本をつくりました。

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■結構目立つ表紙なので、書店で是非ともお手にとってください。デザインは酒井博子さん
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幾つかの財団の助成金をいただきつつ、日本、韓国、台湾でそれぞれ研究グループをつくり、それぞれの国の歴史を調べ、それを共有した上で、お互いの国の先駆者にインタビューをしたり、現地を見に行ったりする、というフォーマットですすめていた研究で、フラットにお互いのことを学びましょう・・という研究でした。
その後、プロジェクトはひと段落したので、本にまとめることとし、萌文社さんに編集と発行を引き受けていただき、幸運なことに、住総研の出版助成もいただくことができて刊行にこぎつけることができました。
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内容は大きく4つのパートに分かれています。
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最初のパートはこの本のタイトルでもある「自分にあわせてまちを変えてみる力」の解説。韓国と台湾の現場をみると、日本のまちづくりの現場と少し似ていて、少し違う世界が展開されており、その微妙なずれから「これ結構簡単に日本でもできるなあ」と、「やってみたい心」がくすぐられることが多くあるのですが、その「やってみたい心」の源泉となる力は何なのだろう?ということを考えたパートです。
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2番目のパートは「25のカタログ」で、この本のメインディッシュである韓国・台湾のまちづくりの事例集です。一般的な「〇〇市△地区」というような、場所ごとの紹介ではなく、やっている事例のスタイルごとの紹介となっています。下の図はその一覧です。
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3番目のパートは「4人の専門家との対話」で、この本で見てきた事例を眺める視点を、加藤文俊さん、石川初さん、山代悟さん、青井哲人さんとの対話から考えています。この対話では4者4様のモノの見方が得られて、本当に面白かったです。
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最後のパートは、韓国と台湾と日本のまちづくりの歴史をまとめたパートです。3つの国の、どこか似ていて、どこか違う歴史を、図のようなまちづくりの誕生ーモデル化ー一般化の3段階でまとめてみたものです。
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つくっている時は紆余曲折があり、「ホントに出せるかなあ?」という時期もあったのですが、そのぶん、装丁やグラフィックに、いつになく力を入れた(あくまでも、都市計画の本としては、という話ですが)本です。実はこのブログの記事にあるへなちょこ手書きイラストは饗庭の自作なのですが、本体には、酒井博子さんの手によるきりっとしたイラストがたくさん収められています。是非とも書店でお手にとっていただくか、ご注文いただければと思います!
出版社のHPはこちら
amazonはこちら

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今年も「津波と綾里博物館展」を開催します

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2016年7月18日 (月)

立地適正化計画の公開研究会を開催しました

昨年に立地適正化計画の調査を行いました。立地適正化計画は、人口減少時代を迎えて、制度改正としては大きな変化だと考えています。大々的な地方分権がスタートしてから15年くらいが経ち、それぞれの市町村で様々な計画や事業の蓄積がありますから、そのへんにどう組み込まれていくのか、に注目したいところです。
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この研究は、第一生命財団の委託研究として、東洋大の野澤千絵さん、横浜市大の中西正彦さん、首都大の讃岐亮さんと一緒に行いました。とはいっても、2014年に制度ができたばかりで、まだ計画が完成したところは数えるほどしかなく、調査の意図は「どのように計画が作られたか」ではなく、「作っているところがどのように悩んでいるか」ということにあります。
現地をこまごまと自動車で回りきった上で、自治体の担当者の方と意見交換をする、という組み立てで、4つの自治体(釧路、花巻、北上、熊本)を見に行きました。あわせて研究会のメンバーそれぞれが携わっている自治体の情報も共有し、「ここが論点だよね」ということをいくつか抽出して、研究のとりあえずの成果とすることにしました。
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成果としてまとめたのは「ジレンマ集」と呼んでいるものです。
21のジレンマを考え、それを、策定のプロセス(「策定のきっかけ・プロセス設計」「都市構造の評価方法・方針」「都市機能誘導区域の指定」「居住誘導区域の指定」「立地適正化計画策定後の運用・実現手法の運用」の5段階)と、5W1Hのうち、Whyを除く5点、すなわち時期、場所、計画内容、実現手段、主体の項目毎のマトリックスで整理したものが下の図で、全体のファイルはここにおいておきました。
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7月15日の夜に、このジレンマ集を共有し、いろいろな人と議論をする公開研究会を開催しました。完成度の高い報告をするのではなく、とりあえずのラフな成果を多くの人と共有して、一緒にこれから考えていきたいですね、というスタンスで開催したもので、なんというか、フルアルバムを出す前に、先行シングルを出して反応を見る・・というような感じ?、あるいは完成間近の新曲をあえてyoutubeに流出させて、世間の反応を見るような感じ?、あるいは断片的な曲の音源をアップしておいて、世界中のDJがそれをどうつなぐのかを見る感じ?
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そんなことで、50人くらいの方にさっくりと集まっていただいて、みっちりとした意見交換をすることができました。意見交換では、そもそも不要な制度であるという、立地適正化に対する厳しい意見もあり、人口減少の都市計画の時間スパンを問う意見もあり、なかなか面白かったです。

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2016年1月 2日 (土)

「津波と綾里博物館展」の報告

ずっと復興をお手伝いしている大船渡市三陸町綾里地区で、2015年の9月に「津波と綾里博物館展」という展覧会を開催してきました。

企画をたて、会場となる空き家を見つけ、DIYで展示空間をつくり、4日の間お客さんを迎える、という濃密なプロセスでした。3ヶ月前の話なのですが、やっとまとめることが出来たのでアップしておきます。書いているうちに、すごく長くなってしまいました。
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そもそも綾里で博物館を開こうと考えたきっかけには、二つの問いがありました。
1つ目の問いのきっかけになったのは、東北大の佐藤翔輔さんの「大きな博物館ではなく、地域にある小さな博物館に津波の記録があるのって、なかなかいいんじゃないですかね」という一言でした。今回の災害は、阪神淡路があった20年前に比べると、1つの地域にあるカメラのレンズの数からして全然違うわけで、万人が記録する、万人が発信する初の災害なわけです。そこに小さな「場所」をつくることで、何が起きるだろうか、ということが1つ目の問いでした。
もう1つの問いは、計画とは何か、超長期のまちづくりを担保する計画とは何か、という問いです。次なる津波は30年後かもしれず、50年後かもしれず、80年後かもしれません。それに対して現在にあちこちでつくられ実践されている復興計画の意志が持続するせいぜい10年くらいであり、その時間はいかにも短く、限定的にしか役に立ちそうにありません。では、超長期の期間にわたる意志を持続させるには何が必要で、それを「計画」はどう支えるのか。その「計画」は、どのようなメディアを使って表現され、それを支える視点はどうつくりうるのだろうか、このことが2つ目の問いでした。80年間にわたって空間をプランニングし続ける事は不可能かもしれないけど、何らかの仕掛けによって、80年後に意志を届ける事が出来るかもしれないな、と考えたわけで、「超長期の都市計画」を伝えるメディアとして、博物館はアリかもな?と考えていました。
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さて白状しておくと、この二つの問いに対して、「きっとこうだろうな」という仮説はあまりありませんでした。普通の建築や都市計画であれば、それを見た時の人々の反応や、その計画に対して、人々がどういう関係をつくるか、おおよそ想像がつきますし、そこからだいたいの落としどころをつかみながら進めていくのですが、津波博物館なる「都市計画」と人々がどういう関係をつくるのか、全く見えていませんでした。
しかし、あまり確信も自信も無い中であちこちに企画を説明してまわっていたのですが、意外な事にこの企画は多くの人にすんなりと受け入れてもらうことが出来ました。「何の役に立つのか」を、あまり深く説明しなくても、多くの人からちょっとした協力をいただけましたし、「やめとけよ」「やめてくれ」という言葉は全く聞きませんでした。 これは逆に言えば、立ち止まってじっくり考える時間があまりとれなかった、ということでもあり、「何が出来るのか」を深く考える事無く、設計を重ね、DIYのプロセスに入っていったわけです。
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会場となったのは、1933年の昭和三陸津波後に綾里地区に高台移転でつくられた「復興地」にある古い住宅です。復興地には昭和の津波のあとに住宅が建つわけですが、多くは標準的な設計で建っていったと言われています。それを「復興住宅」と言えるかどうかは分からないのですが、そこにある種の近代が出現したわけです。
その後に住宅は個々に建て替わっていきますが、いくつかは当時の姿をとどめており、今回の会場は1937年(津波の4年後)に建った住宅で、ずっと空き家だったものです。 私たちの目から見れば、この住宅は歴史的に意味があるものなのですが、もちろん地元の人は何の意味も感じていない、という典型的なパターンでした。
小さな町なので、空き家のオーナーさんはあっという間に見つかり、あっさりと使用の許可をいただくことが出来たので、この住宅自体も展示物としてみていただく、ということで展示の計画を進めました。
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住宅の軒裏には「棟箱」とよばれるものが打ち付けてあり、そこには棟札などが入っています。それによると、この住宅の建て主は当時の20代前半の若者でご存命だったらちょうど100歳くらい、大工の棟梁は綾里で代々大工さんを営んでいた方でした。
会期中に大工さんのお孫さんがたまたま見にいらして、「じいさんの仕事が残っていた!」と興奮して、もう一度一族郎党を引き連れて見にいらっしゃったことが印象的でした。
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最初の1週間はDIYという名前の大掃除からスタートでした。
部落長さんやご近所さんらに挨拶回り等をすることが出来たということもあるのでしょうが、この場所は小さい町の中心にあり、何をやっているのかが割合と速いスピードで町の中に伝わっていったようです。
小さなまちの素晴らしいところですが、DIYがスタートした日から、会場にはお茶やお菓子や食事を絶え間なく持ってきていただけましたし、地元の方のお宅に食事におよばれする事も多くありました。これは本当に感謝です。
プランは、設計をサポートいただいた伊藤暁さんのサイトに詳しいですが、平屋の住宅の建具を取り払い、ぐるっと廻る新たな動線を導入するというものでした。
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住宅は一時期は複数の単身者向けの貸家になっていたり、学校の先生の住宅として使われていたことがあるそうで、それぞれの時代に蓄積されていった小さな造作があり、それをひとつづつ判断して、引き算をし、最期に必要な動線を加える、ということがDIYのプロセスでした。
余談ですが、ここでやったことは、いわゆる「リノベーション」になると思います。しかし、普通のリノベーションは建物に価値を加えて別の使い方に再生する手法なわけで、取り壊して新築する建築行為への対抗手段なわけです。しかし、綾里で建物から引いたものと足したものを合算すると、マイナスになりますし、リノベ後の使い方も恒常的なものでなく、非常に「弱い」使い方になります。ですから、綾里でやったことは、新築に対抗する建築行為ではなく、どちらかというと建物の解体のプロセスの一部であり、いわば緩慢な解体プロセスということなんだろうな、と思いました。
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直前までギリギリの作業を重ね、何とか初日のオープンを迎える事が出来ました。「たぶん、年寄りは朝が早いから、オープン前に来ちゃうよ」というアドバイス通り、オープン前よりぼちぼちとお客さんに来ていただく事が出来ました。会場の様子は、山岸剛さんの写真にも詳しいです。
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前日の徹夜の様子
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お客さんがいらっしゃったら、なるべくマンツーマンでこちらのスタッフがついて、1つ1つの展示を説明しながら、お話を聞きながら廻ろう、と考えていたのですが、午前中が終わるころからそれが成立しなくなり、あれよあれよという間に初日は50人、4日間で290人のお客さんに来ていただけることができました。
お一人15分くらい滞在しているので、トータルで72時間くらいです。綾里の人口は2000人くらいですから、10人に一人以上はおいで下さった勘定になります。
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展示内容は以下のパンフレットの通りです。
入っていきなり住宅の実測図面(明治の青井哲人研と東大村松研岡村健太郎さんの共同作業です)が並んでいる、という、なんとも無愛想なスタートなのですが、いらっしゃった方々が、それらを食い入るように見ておられました。「古いお家はこうなんだよな~」ということを喋りながら、ご自身の住まいの記憶を辿りながら見ておられるようでした。小さな町なので、どの住宅の実測図面なのかがすぐに特定出来るので、「○○さんちだねえ」というふうに見ている方も多いようでした。少し離れたところに、会場となった佐々木邸の軸組模型や、佐々木邸の棟箱も展示していたのですが、それらも人気でした。
ついで、筑波の木村周平さんの作業である、綾里の各集落毎の地域組織や祭礼をまとめたパネルがあり、ここは文字数が多いので、スルーかな? と思っていたら、みなさん、自身の集落がどう記述されるのか興味があるようで、押すな押すなで見ておられました。
ついで、山岸剛さんが撮影した綾里の写真の展示でした。山岸さんの写真は、かなり硬質な手触りの、迫力のある写真なので、これを地域の人が見て、何を感じるのか?が、饗庭としても興味があるところだったのですが、写真を前にしたほとんどの人たちが、自分の生活と結びつけて、写真との距離をあっさりと乗り越えていたことが印象的でした。写真の前で賑やかなお喋りをしておられたことが印象的でした。
ついで、常葉大学の池田浩敬さんが今回の災害の避難について、饗庭が復興についておおよそをまとめたものの展示がありましたが、これはよくも悪くも期待通りの反応ではありました。
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Pamph
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最後に、小さなスペースを作って、調査の過程で発掘された、昭和29年の綾里村の映像、そして2000年の綾里大祭の映像を繰り返し上映しました。前者は60年前の風景、後者は15年前の風景で、どちらも「失われた」風景です。この二つの映像は、本当に、大人気でした。短くない上映時間なのですが、前に陣取って、繰り返し繰り返し映像を確認する風景が見られました。
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Kyaku
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会場の空間は木材を組み合わせただけの什器にパネルを展示するというシンプルなものでしたが、写真のようにご老人達がちょっと手をついて、展示の隙間から顔を出して話をすることが出来る、とてもよい設計でした。
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既述の通り、この博物館は、二つの問いに対して、答えのイメージを持たないまま枠組みだけをつくり、慌ただしく準備を重ねてスタートしました。次々とやってくるお客さんを案内しながら、ここで何が起きるんだろう?ということを一方の頭で考えながら過ごしていたのですが、こちらがわ(展示側のわたしたち)を含むたくさんの人たちとの賑やかなお喋りや、展示をじっくりと見つめる眼差しを見て、いろいろと得心がいきました。
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まず1つ目の「地域に小さな「場所」をつくることで、何が起きるだろうか」という問いに対する答え。 いらしゃった方々を見ると、殆ど地域内からの方が多く、関東などの遠方から来ていただいた方は数えるほどしかいらっしゃいませんでした。小さなコミュニティなので、普段から顔なじみの方も多いのですが、あらためて「津波博物館」というテーマを持った空間の中に居ることで、自ずと話題は津波のことになり、お互いが持っている記憶を、お互いに出し合いながら確認し合う、という風景が多く見られました。それは彼らが、部落会の会合等の機会で、折に触れて行なってきたことではありますが、津波博物館という空間を媒介として、そういった「地域の中での断片的なおしゃべり」が、1つの「大きなおしゃべり」へと構成されていったような、そんなことが起きたようにも見えました。
最後の日に、昭和津波で一家が全滅し、北上の親戚に引き取られた当時8歳のおばあちゃん(90歳!)が、岩手日報の記事を見て、「わたしは行がなくてはなんねえ」と、北上から2時間かけて会場にいらっしゃいました。ご自身が去られた後の綾里の歩みをしっかりと見ていただき、偶々会場にいらした地元の82歳の方と話をかわし、記憶を確かめ合うように長く話し込まれていました。こういう奇跡的な瞬間を生み出せる場所をつくることが出来たのは、本当によかったです。
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Last
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ついで、2つ目の「超長期のまちづくりを担保する計画とは何か」という問いに対する答え。
会場には、過去の津波や昭和の時代の綾里地区と、東日本大震災の津波とそこからの復興の二つの種類の情報を並べました。二つをバラバラでみるときに、多くの人は、前者へは「歴史」への視点(当事者ではない客観的な視点)、後者へは「現実」への視点(客観的ではない当事者の視点)、の異なる視点を切り替えて見ることになると思います。前者は歴史で、後者は計画、ということなのかもしれません。
しかし、意図したわけではないですが、会場の中ではその二つがごちゃごちゃと混ざって展示されており、見ている人の二つの視点が統合されていったような、そんな不思議な感じを受けました。例えば山岸さんの写真は、まぎれもなく、最近に撮影した現実を写しているわけですが、どこか遠い歴史の風景を写しているようでもありましたし、青井さんたちの図面は古い建物の歴史をなぞるようにつくられていますが、それを見ている人たちは自分の生活空間と地続きのものとしてそれをとらえている、ということです。
「二つの視点が統合された」眼差しを、どういう言葉であらわせばいいのか、まだよく分からないのですが、それは、とても興味深い眼差しでした。そして、それは、もしかしたら、「超長期のまちづくりを担保する計画」の根底にある眼差しなのかもしれません。
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博物館は、もう少し続けようと思っていますので、今年はもう少しいくつかの材料を展示してみて、二つの問いについて、もう少し考えたいと思っています。
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2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年賀状のデザインがやっと出来ました。(実物の配達はもう少しお待ち下さい。)
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2015年は、鶴岡で大手道のアーバンデザインのワークショップに取り組めたこと、綾里で仮設の津波博物館をつくれたこと、鶴岡で人口が減る時代のマスタープラン作成に取り組めたこと、単著「都市をたたむ」を3年越しで出版出来たこと、色々な人に関わってもらいながら3つの新しい授業をつくることができたこと、などが成果です。
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2016年は、少し中断していた東京の都市計画の研究を進めること、中国の人たちに日本のまちづくりを説明する本を書くこと、昨年に思いついた「都市への適応」というコンセプトを具体化するワークショップを重ねること、綾里の取り組みに一段落をつけること、新しく立ち上げる都市関係の学科をいろいろを整えること、もっと本を読む時間を増やすこと(電車の中で原稿を書かない)が目標です。
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みなさま、今年も引き続きお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。
Raku
上娘のカード
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Ren
中娘のカード
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Gyou
息子のカード

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2015年12月31日 (木)

マンション建替えが都市計画になるらしいです

昨日付けの朝日新聞に「マンション建て替え、基準緩和へ 一部は3分の2同意で」という記事が出ており、ついつい反射的なコメントを書いてしまったので整理しておきます。報道だけで、制度の詳細がどうなっているのかが分からないので、多少は正確ではないですが、マンション建替えに都市計画における市街地再開発事業の枠組みを導入することによって、建替えの合意要件を2/3にまで落とす、ということが目玉らしく、「マンション建替えは都市計画である」ということになった(ように読める)ことは、結構大きなことです。
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建替え不能マンションについては、ぼちぼちと相談や質問を受けることが増えてきていて、ぼちぼちと仮説を考えつつありました。(自分の住むマンションの管理組合の経験はありますが、専門家としてこの問題に関わったことが無いので、「やってみないとわからないこと」も随分とありそうで、現時点での仮説です。)
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建替え不能マンションがどのような解決を目指すのであれ、「意志決定が出来ない」という状況が、問題の根源であることは間違いないでしょう。建替えにせよ、取り壊しにせよ、減築にせよ、リノベにせよ、意志決定が出来ないと何もできません。ですので、いかに意志決定を早く出来る仕組みを作るか、ということが制度設計の一番大事なポイントなのは間違いなく、今回の改正で「区分所有マンションの建替えは都市計画だからね」とこじつけて、都市計画のこれまでの規制緩和で割合を落としてきた「2/3」という同意率の数字を使えるようにした、ということは、まずは評価したいです。
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ただし、都市計画になったということで、本当に「意志決定が早くなるのか」かは、やや微妙なところです。都市計画としての区域をマンションだけでなく、周辺区域も含めることにすれば、「それを含めての2/3」が合意要件になるので、あるマンションであまり同意が出来てなくとも、区域全体として2/3であれば、そのマンションをぶっ壊せることになります。
これは「区域の取り方によっては、早くなる」ということですが、一方で、都市計画の決定権者(多くの場合は基礎自治体)が決定主体になりますので、都市計画審議会も含めた基礎自治体の内部+αのガバナンスの影響を受けることになります。これら内部+αのガバナンスが、結果的に意志決定を軽くするのか、重くするのかが、ケースバイケースになりそうで、読めないですね。
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さてついで、市街地再開発事業にすることについて。
周知のとおり、大きくは床を増やす時代ではないので、そもそも再開発の枠組みで救えるのはえらく限定的なエリアになりそうだな、と思います。要するに民間デベロッパーに建替えのうまみをちらつかせることによって、動かないところを何とかしてもらいましょう、という政策ですから、現実は、当座の仕事を増やしたいデベが、思いつきの束みたいな再開発の提案を持って役所に押し掛けて、いくつかは実現して、それを再分譲して利益をあげる、みたいなことが起きてしまうんだと思います。
ちょっと厳しいなあ、と思うのは、再開発は得てして用途を複合化させた空間をつくります。それは、再開発の枠組みを使うとなると、単なるマンションの建替えではなく、そこに公的な空間を組み込まないといけなくなりますので、建物とペデストリアンデッキとか、住宅と公園とか、住宅と商業と図書館、とか、オフィスと女性センター、みたいな組み合わせがたくさん出来てしまいます。公的な空間はそれぞれにマネジメントコストがかかってくるわけなので、無理に作ってしまい、結局は行政がお荷物をかかえてしまいかねないこと、さらには、たとえば商業の盛衰のサイクルと、公共施設のニーズの盛衰のサイクルはちがいますから、建設時点ではぴったり息があっていたとしても、やがてサイクルがずれはじめて、建物の一方が使われているのに、一方が使われていない、なんていく問題も出てきてしまいます。開発するデベさんは、ほとんどの場合は長期のマネジメントのリスクを背負いませんから、「複雑な空間を作って売り逃げ、その後に地域は疲弊する」みたいなことが起きてしまいそうで懸念されます。
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さて、もっと問題なのは、床を増やすインセンティブがはたらかないところでの、この枠組みの効き方です。再開発は床を増やすことが最大のインセンティブですから、この枠組みは基本的には役に立たないはずです。合意の要件が2/3になろうが、1/2になろうが、それで圧縮できるコスト(合意形成コスト)はそれほど無いので、駅からちょっと離れたようなところにある民間マンションの建替えにこの制度が効いてくることは、現在の報道で得られる情報から判断する限りにおいては、「無し」だと思います。(厳しいところに対して、再開発系の補助金をざぶざぶ流し込む、なんてことは今後に起きてくるかもしれませんが・・)
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ただ、少しだけ希望が持てそうなのは、再開発の制度を使えば、不動産の権利を売買に頼らず再編成することができます。床を増やすインセンティブがはたらかないところでの建替え不能マンションは、将来的には減築や除却といった「増床型建替えではないゴール」を目指すしかなくなります。
既述のとおり、多くの場合において、そのゴールの意志決定すらできないので困っているわけですが、2/3の合意で何らかの「増床型建替えではないゴール」を決める、そのゴールにあわせて、まず出て行きたい人たちの権利の清算をし、残ってゴールを目指す人たちの権利に再編成し、その中でギリギリの収支がとれるくらいのバランスで床を使っていく枠組みをつくり、ゴールを目指して、それまでにカタストロフィーのないマネジメントをしてもらう、というようなことになれば、今回の制度改正は少し意味があるかもしれません。(ここらへんは、実際に事業を組み立てないと分からないです)
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これはいわば、「マンションのエンディングデザイン」なわけですが、エンディングデザインにせよ、再開発にせよ、意志決定をしないことには動きません。わたくしが意志決定がしやすくなったことを評価しているのは、こういう意味においてです。
しかしまあ、エンディングデザインにまで公的介入をしてもらわないと、意志決定すら出来ないなんて、社会はへんなふうに成長してしまいましたね・・。

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2015年12月26日 (土)

「都市をたたむ」という本を上梓しました

花伝社という出版社から「都市をたたむ」と題した本を出版しました。
このブログも含めて、いままで書いてきたことと、新たにゼロから考えた部分をリミックスし、一つのつながりのある論考として仕上げたものです。
これだけ長いテキストを書くことは初めてのことなので、最初にお話をいただいてから3年近くかかってしまいましたが、長い分、色々なことが書けたので、是非ともお読みいただければと思います。(書くのは3年かかりましたが、読むのは3時間くらいで大丈夫だと思います。)
amazonでは、なぜか品薄のようなのですが、大きめの書店には置いてあると思いますし、饗庭に直接声をかけていただければ、著者割引でお分けいたします(ついでがあれば持って行きます)ので、よろしくお願いいたします。

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また、正式には年明けの告知になりますが、以下の通り、出版にあわせて藤村龍至さんと公開対談をさせていただくことになりました。
会場は下北沢のB&Bで、2016年2月19日の夜の予定です。しばらくすると、B&Bのサイトに申し込みフォームが出ると思いますのでそちらも是非ともお越し下さい。

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饗庭伸×藤村龍至
「縮む日本をどうつくる~都市計画家と建築家のできること~」
『都市をたたむ』(花伝社)刊行記念

人口減少社会に転じて久しい日本。
この時代に第一線で活動する都市計画家と建築家は、何を目指し、何を目指さないのか。
2020年東京オリンピックが変える東京の街並みは、どうあるべきなのか。
スポンジ化して縮小する都市に対して、コンパクトシティ構想は本当に有効なのか。
そもそも都市は、誰のために、何のためにあるのか。
そして、理論と現場ともに精通した70年代生まれの都市計画家と建築家は、この縮小時代をどうデザインするのか――おおいに語り合っていただきます。

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