2017年3月19日 (日)

フォトモンダージュをつくるワークショップ手法

まちづくりの現場で写真を使って合意できる景観を探り出す「フォトモンダージュ」という方法を使っています。
これまで、大船渡市綾里地区の防潮堤のデザイン(2012年)、山形県鶴岡市の街路整備(2015年)、某区の都市計画道路の沿線の街並み(2017年)、の3つの現場で使ってみました。時々思い出したように使っているだけですが、ちゃんとまとめたことがなかったので、その方法と成果をまとめておきます。
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方法はとても簡単で、対象の景観の写真を準備しておき、その上に街並みなどのパーツの写真(例えば路面のパターンや街路樹のパターンなど)を重ねていき、それを参加者の方に見ていただきながら、みなが「これだ!」と言える景観写真をつくり出すというもの。PCの中にAdobe社のPhotoshopを入れておき、Photoshopのレイヤー機能を使って重ねる写真を切り替え、それをプロジェクターで映写しながら進めます(上図がオペレーションの画面)。事件の目撃者に犯人の顔のモンタージュ写真を作ってもらうのと同じ要領です。Photoshopの本来の使い方ではないのかもしれませんが・・・
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上図は大船渡市綾里地区で防潮堤のデザイン案を検討した時に準備したもの。こうしたデザインのバリエーションをあらかじめphotoshopのレイヤーに仕込んでおき、パチパチ切り替えながら話しを進めていきます。なおこの資料は、震災後に岩手県が刊行した防潮堤のデザインガイドラインから作ったもの。震災後は、こうしたもののデザインの検討にあまり時間をかける余裕がなく、少ない時間の中で漁師さんたちにデザインのオルタナティブを理解してもらう必要がありました。岩手県のガイドラインはとてもわかりやすくまとめてありましたが、それでもそれを見ながら議論をすると時間がかかりそうでしたので、ガイドラインの中身をフォトモンタージュのパーツで作り、それを見ながら決めていきました。
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上図が案の変遷です。途中で樹木を足したり、緑化にしたり、行きつ戻りつしましたが最終的にはシンプルなものに落ち着きました。少人数の小さな集落で開いたワークショップでしたので決まるのは早く、7人で30分くらい検討をして、案を決めることが出来ました。
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上図は鶴岡の街路整備のデザイン案の検討。ここでの検討は、震災復興と違って緊急性がなく、街路整備のデザインを決めるだけでなく、まちづくりに発展するような検討が求められました。つまり、正確に決めるためのフォトモンダージュではなく、イメージを膨らませるためのフォトモンタージュです。ややラフな、考える余地、発想の余地をたくさん残した素材を準備し、それを組み合わせながらデザインを考えていきました。イメージを膨らませるために、モンタージュのパーツをどれくらい準備するのか、(たとえばベンチの種類なんてそれこそ無限にあるわけで・・)苦心しました。
この時は4つのテーブルに分かれて検討し、それぞれ1時間もかからないで幾つかの案をテーブルでまとめることができました。ワークショップの結果からデザイン要素を抽出して整理し、これの次のワークショップでは絞った案を模型にし、さらに2回議論をしてデザイン案を決定しました。このワークショップは議論がたくさん出る、にぎやかなワークショップ(ともすれば意見が多すぎてまとめるのに苦労するワークショップ)だったのですが、一つの画面にグループの人たちが集中するので、具体的な成果が速くまとまる方法だなあ、ということをあらためて感じました。
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上写真は2週間前に開催した某区の都市計画道路の沿線のまちづくり懇談会。ここでは都市計画道路の整備にあわせて、周辺の街並みを検討しています。道路整備にあわせて沿道の用途地域を変えるかどうか、地区計画をかけるかどうか、という検討につながっていく懇談会です。
住宅街にできる広い復員の道路であり賛否が様々であること、そして道路に土地を買収される地権者さんたちも参加する会合であることから、鶴岡のワークショップとは異なり、事前に行政とも十分にオルタナティブ(準備するパーツ)を準備してのぞみました。前二つのワークショップは研究室で準備しましたが、このワークショップはコンサルさんが準備しましたので、よりプロっぽい正確さ、精密さを持ったモンタージュになりました。
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3カ所での経験を並べてみると、それぞれ位置付けや、結論の抽象度、そこで得られるべき合意の強度のようなものは違うので、それなりにチューニングはしています。しかし、どれの場合も、参加者が集中し、具体性を持った議論を行い、そしてその場で決まったことが確認できる、という意味では共通していました。
下図は、最終的に決まったものを模造紙に映写し、それにさらに意見や修正点を手書きで書き込んでいるところ。こんな感じで、デジタルとアナログを重ねていくこともでき、合意形成のサポートツールとしては結構つかえるなあ、と感じているところです。
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2017年3月12日 (日)

多摩ニュータウン落合・鶴牧・唐木田住区から学ぶ(報告)

昨日は多摩ニュータウンの演習の発表会でした。
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午前中は有志のまちあるきツアーののち、多摩八角堂で展示会、そしてミニシンポジウムという流れ。対象地は主に鶴牧・落合住区と多摩センター地区で、多摩ニュータウンの中興の開発と言われています。
1965年に住宅供給を主目的に始まった多摩ニュータウン開発が、地元多摩市の反発で一時休止している間に、日本中の住宅が足りてしまい(1973年)、多摩市の要求を解決しつつ、量から質へと大転換したころの開発です。成瀬さん曰く、例えば千里や泉北のニュータウンは、「住宅が不足している」という時代の勢いのまま作りきったそうですが、多摩ニュータウンにおいては、一時休止期間があったことで、結果的にそこでじっくり計画を練ることができたとのこと。
午前のまちあるきは多摩センターからスタートし、以下のルート。
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■みどころ1;多摩センター駅近辺
 1964年に検討がスタート、1977年案(市浦都市開発建築コンサルタント)が現在のベースに/駅前広場や歩行者専用道路は大高正人事務所の設計。直線的なエッジのたった計画/ペデストリアンデッキ周りのサイン計画は我が国でも先駆的に取り組まれたもの。剣持デザイン事務所の手による/ペデストリアンデッキ下の店舗スペースなどは「稼ぐインフラ」の先駆的なものとしても再評価できる。
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■みどころ2:多摩センター駅近辺の公益施設・商業系・業務系の建物
 公益施設(郵便局、警察、NTT、東京ガスなど)は広域拠点性を確保するために先行立地。建築ガイドプランを作成し建築誘導/商業系はデパート・ホテル・レジャータウン の三位一体戦略/企業立地に際しては各社に自ら可能な住民サービスを求め、地域に対する空間整備を依頼。例えばベネッセのスタードームなど。サンリオピューロランドも、当初は公共貢献だった。
■みどころ3:パルテノン多摩+多摩中央公園
公園の地形と一体になった文化施設。パルテノン多摩設計は曽根幸一。公園設計はあい造園設計事務所/地形は自然地形ではなく、もともとこのあたりは最大で40m近く山を削ったところ/当時の公園内建築物の建築建ぺい率制限を地下化することでくぐり抜けた。
■みどころ4:プロムナード多摩中央
量から質を目指した時代の象徴的な住宅開発の一つ。街路上に1f住戸の1室が飛び出すプラスワン型/設計は坂倉建築研究所/プラスワン型はその後ベルコリーヌ南大沢、コスモフォーラム多摩などでもわずかに展開するが、惜しくも日本には(さらには世界のどこにも)定着しなかった。現在でも人気が落ちない住宅の一つ。
■みどころ5:タウンハウス落合・タウンハウス鶴牧
量から質を目指した時代の象徴的な住宅開発の一つ。低層高密を目指し、自動車と住環境の共存も目指した/設計は山設計工房、マヌ都市建築研究所/タウンハウスは多摩ニュータウンの中にいくつかあるが、これはその中でも最高峰の一つ/プラスワン型よりは民間にも展開するが、大展開したわけでは無い。現在でも人気が落ちない住宅の一つ。
■みどころ6:鶴牧東公園、鶴牧山
諏訪、永山、貝取、豊ヶ丘と違い、住区全体に「大観構造」が意識されるようになった/4ヶ所の近隣公園をつなげて「基幹空間」とする/残土を積んだ「鶴牧山」は周辺住民のシンボルともなり、まちびらき直後からここを会場とした住民が企画するジャズコンサートが開かれる/映画やテレビドラマのロケ地としてもよく使われているそう。
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■みどころ7:奈良原公園・宝野公園
晴れた日には遠く富士山を臨むことができ、桜の季節はまさに絶景/二つかかっている人道橋の一つは公園の計画前に作られたもの、富士山軸に合っていないので、新しくもう一つの橋が架けられた
■みどころ8:エステート鶴牧4・5
タウンハウススタディから発展させた新型中層住宅群/同じ間取りを積層したタイプでなく、多様な間取りを積層した/設計は環総合設計/タウンハウスでなくとも豊かな売れる住宅を作れることがわかったので、結果的にタウンハウスを駆逐してしまった。
■みどころ9:南部近隣センター
最寄り品の商店を中心に構成された近隣センター。店主の代替りや、廃業によって、店舗が入れ替わり、NPOやカフェが入居するようになる/シェルター・掲示板などを一体化した「かきわり壁」。
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惜しげもなく原図を地面に敷いて解説をスタートする成瀬さん
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午後のシンポジウムは、東北被災地への黙祷からスタートし、中島直人さんからは大高正人論の中での多摩センターの意味(群造形から、検見川や金沢ニュータウンのセンターとの比較まで)について、田中暁子さんからは新住宅市街地開発事業の解釈と都市デザインについて、松本真澄さんからは公団の晴海住宅(都市型)+阿佐ヶ谷住宅(郊外型)に次ぐ、第二のピークが多摩ニュータウンの鶴牧・落合にあるのではないかということ、武岡暢さんからは都市社会学者が郊外住宅地という枠組みにとらわれていて、都市という枠組みでニュータウンをとらえていなかったのではないか、ということについで問題提起がありました。
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シンポジウムの風景。会場はJS多摩八角堂。
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後半の論点は3つにしぼりました。
まず、この時代の多摩ニュータウン開発(鶴牧・落合と多摩センター)は「郊外住宅地」ではなく「都市」をはっきりと作ろうとしたのではないか、ということ。計画を練り直す中で多摩センターの位置付けがどんどん大きなものになっていき、そもそも新住宅市街地開発事業は住宅地だけを開発する事業制度だったのに、都市を開発していったこと、それは歴史的に見ると、多摩市がニュータウン開発を止めた時に、「住宅だけでなく、産業の場をつくってほしい」とはっきりと意思表明をしたことが少なからず影響していそうなことが議論されました。
二つ目は、なぜ柔軟なデザイン変更や、多摩センターの駅前に立地した施設にデザイン調整や公共貢献などが可能になったのかという点。これについては、全面土地買収をする新住宅市街地開発事業であったがゆえに、地主がいないから、自由にデザインを変更することが可能であったこと、そして、プランナー側が地主として事業者に注文をつけることができたことが議論されました。
三つ目はこれからについて。かなりよい住宅ストックが集積されているので、世に言う「オールドタウン問題」はあまり起きそうにないのだけれども、近隣センターについては手術が必要そう、多摩センターについても、何らかの「ものがたり」が必要そう、ということが議論されました。
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シンポジウムは90分しか時間をとっていなかったのですが、ああ、これは180分いけたなあ、と少し後悔しています。
来年はこの授業は、いよいよ京王堀之内のライブ長池地区を対象にする予定。饗庭の地元ということもあって、今から気合を入れているところです。来年は180分くらいやってみようか・・・と思っています。

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2017年3月10日 (金)

大学院生を募集しています

ブログにはこういうことを書いたことはないのですが、今年はポスターを外注して、いい感じのが出来上がってきたので、そのお披露目も兼ねて、院生募集のお知らせ。ポスターデザインはカイシトモヤさんのroom-compositeです。

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平成30年から、大学院が新しくなります。もともと別の学部にあった「都市政策コース」というところの先生方と一緒になって、新しく「都市政策科学域」という大学院になります。
組織は変わっても、饗庭は変わらず、研究室の学生と一緒になってプロジェクトを動かし、研究室の学生たちが持ち込む研究を一緒に考え、専門の授業(ワークショップをデザインする授業など)を二つ行い、ときどきよその研究室の学生の相談に乗る、という感じですが、組織が新しくなると、いろいろ出来ることも増えるので、平成30年を楽しみにしています。
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平成30年に、どんなプロジェクトを研究室でやっているのか、現時点でははっきりと決まっていないのですが、今年から始めた多摩ニュータウンの再生のプロジェクト、晴海のエリアマネジメントのプロジェクトは、おそらく確実に続いていると思います。そして来年度から人口減少時代の東京郊外の都市整備のあり方(逆区画整理とか?)の研究がスタートしますので、それも30年度もすすめているはず。
そんなことに興味がある方は、ぜひとも受験を検討ください。
悩んでいる方は、いろいろ相談に乗りますので、饗庭に連絡をいただければ。
研究室について、細かなことはここにも出してあります。
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2017年3月 8日 (水)

スポンジ化についての話題提供スライド

2月からスタートした、国土交通省 都市計画基本問題小委員会にて、20分の話題提供の時間をいただきました。
あちこちにレクチャーなどで呼んでいただいたときにお話ししている内容を再編成したものですが、こうした議論を色々な人と共有することが大事だと思いますので、ここに再掲しておきます。スライド+解説テキストの構成です。
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スライド1 まずは人口について。基本的なことですが、人口減少は当たり前のことなので、慌ててはいけないということ、人口の流動が下がって人口動態が読みやすくなるので、きちんと読みきって資源をマネジメントする、ということが基本スタンスではないだろうか、という問題提起です。
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スライド2 そして人口減少に対して、少なくとも都市政策はミティゲーションを狙わないこと(背景にある、婚活パーティーとワンルームマンションがミティゲーション政策の最たるもの)、アダプテーションを狙うべきであることを述べました。
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スライド3 この図もよく使う図ですが、かつては状態1から状態3に移行する際に、人口増加と都市空間の拡大のバランスをとるようにして、過密や過疎の状態が発生しないように都市計画が運用された、これからは状態3から状態1へと移行することになり、同じように人口減少と都市空間の縮小のバランスをとるようにして、過疎や過密の状態が発生しないように都市計画を運用する必要がある、ということを説明しました。
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スライド4 ここからは都市の空間がどのようになっていくのか、ということ。それぞれ「都市をたたむ」で使った図ですが、都市の縮小は上の図のように進むとイメージしがちだが、実際は下図のように、都市の大きさは変わらず、内部に小さな穴が空いていくように空間が低密度化すること、それを「スポンジ化」と呼んでいることを説明しました。
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スライド5 これは拡大期のスプロールと、縮小期のスポンジ化の違いを説明するもの。どちらも土地を持っている人の、個々バラバラの意思決定が集積したものである、という意味では同じメカニズムによるものであることを説明しました。
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スライド6 この表はスプロールとスポンジ化の違いを比較したもの。ゆっくりと変わる、個人が変える、小さな規模で変わ る、様々なものに変わる、あちこち(ランダムな場所) で変わるという特徴を説明しました。
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スライド7 ここからは政策についてのスライド。まずは対極的に、拠点に強く集約するタイプの都市計画と、スポンジの構造にあわせるタイプの都市計画があることを示しました。空き家や空きPREの活用はスポンジ型ですね。そして、これらの重ね合わせ方が大事なんじゃないかという認識を示しました。
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スライド8 これは国交省の政策をおさらいするスライド。小委員会の場では、さすがに説明は5秒で終わらせました。
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スライド9、10、11 この3枚は実践編。9は空き家を使った地域の拠点づくりの例(いつものやぼろじです)、10は空き家の跡地を使ってインフラを作っていこうとするまちづくりの例(いつもの鶴岡です)を解説しました。時間がかかるので、11ではきちんと主体を作っていくことの重要性を解説しました。
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スライド12 こういった取り組みを重ねていくことで、どんな都市構造になっていくのかを概念的に示しました。政府が努力し、コミュニティが最大限に動いたとしても、やがて潮が引くように面的に低密なエリアが出てくる、という将来都市構造です。よく政府が指定する中心と、コミュニティが動く場所がずれていること(公共投資が空振りすること)が問題になるのですが、それを協調的に重ねていくことが大事、ということを申し上げました。

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2017年2月27日 (月)

多摩ニュータウンの南側プロジェクトを始めました

現在の大学に着任してすぐに多摩ニュータウンに引っ越してきてもう15年ほどになるのですが、ニュータウンは随分もったいないことになっているなあ、と思っていました。
多摩ニュータウンは戦後の都市デザインの粋を凝らした大プロジェクト。どれくらいの粋かというと、実は多摩ニュータウンを作り始めてすぐの1973年に日本の住宅は足りてしまい、住宅不足を解消するというニュータウン建設の大義はなくなってしまったのです。本来ならば事業が打ち切りになっていてもおかしくはなかったのですが、その時にニュータウンの大義は「量から質への転換をとげる先導的プロジェクト」と再定義されます。ですからそこから先は、ただひたすら「質の高いデザイン」を追求してくわけで、2000年頃に「もう住宅建設は民間に任せようよ」となるまで(具体的には住宅都市整備公団や公営住宅を新しく作らなくなるまで)の約30年間、それぞれの時代において、その時代の少し先を読んだデザインの粋が実現化されているのです。
もちろん、未来が読んだ通りに動いたわけではないので、当時は「これだ」と思って作ったもののように時代が進まず、今からみると、一昔前のSF映画を見るような「奇妙な未来」がそこに存在することもあります。とはいえ、その未来は突拍子も無い、ただデザイナーが先走って作ったものではありません。「量から質へ」と「量」が枕詞にくっついているところがポイントで、デザインは常に「量への構え=普遍」を意識したものになっています。つまり、普遍的なデザインをもつ普通でないもので出来上がっているのが多摩ニュータウンです。
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ニュータウンのごくありふれた街角の風景
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しかし、多摩ニュータウンのパブリックイメージは決してよいものではありません。「人工的で非人間的」「ニュータウンからオールドタウンへ」というような言葉が一人歩きし、多摩ニュータウンは時代を象徴したプロジェクトであったが故に、常に時代の最先端の悪口を言われてしまう、そんな損な役回りにあります。
2年前から大学でスタートした多摩ニュータウンを学ぶ授業において、学生が多摩ニュータウンをから既成市街地の府中に向けて、横断的に公示地価を拾ってみる、という作業をやってみたのですが、府中からこちらに向かって、多摩川を越えたあたりから地価ががっくり下がります。普通の町よりもはるかに公園が多く、はるかに交通渋滞の無い町なのに、市場の評価は見事に反転しているのです。
ああ、もったいない、面白いのに。
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そんなことで(ここからが本題)、もったいないなあ、と思っていたところに、日本総合住生活という団地の管理などを主に請け負う会社から、「ニュータウンの遊休施設を使って、周辺の再生をやりたいので、手伝ってくれませんか」と声がかかりました。遊休施設は八角形のインパクトのある外観の通称「八角堂」。この建物も、その横を通っていたので、常日頃からもったい無いなあ、と思っていた建物です。
遊休施設はエリア再生の種地みたいなもので、周辺を再生するときに足りない機能をそこにいれたり、周辺の人たちのソーシャルキャピタルを形成するために、施設の使い方を考えるワークショップをやったり、色々と使うことができます。そろそろ出だしている空き住戸のクラブハウスとして使ったらどうか、住民さんたちがDIYリノベをするときの拠点として使ったらどうか、北側にある公園(これがまた豊ヶ丘南公園という傑作)を使い倒すための拠点として使ったらどうか、やたらとある緑地に農業を仕掛けていく時の拠点として使ったらどうか・・、ああ、なんて面白そうなんだろう、とそんなことを考えて、昨年の暮れからいくつかの新しい仕掛けをスタートしました。
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八角堂の内部。もともと住宅リフォームの展示場として建てられたもの。妙にハイスペックです。
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まずはプロジェクトのエリアと名前、これまでのパブリックイメージを反転させるために、「多摩ニュータン南側プロジェクト」という名前をつけました。「南側」というと、日本人にはよいイメージですが、多摩ニュータウンはゆるい「北側斜面」に形成され、鉄道と幹線道路の主要インフラが一番低いところ=北の端につくられたので、南側は駅から通く、少しあがったところになります。必然的に地価は落ち、ニュータウンの中でも人気がないエリアになっています。
南側にあって、日当たりもよさそうなのに、喧騒から離れてゆっくり暮らせるのに、ああ、もったいない、ということで、エリアを多摩ニュータウンの南側にしぼり、重点的に展開していくことにしました。
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ロゴも考えました
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そして八角堂。私たちが関わる前から、八角堂再生の最初のプロジェクトとして、ベーカリーが入ることが決まっており、昨年の後半にまずベーカリー「moi bakery」がオープンしました。それだけで、街並みが一新するほどのインパクトがありました。(八角堂は角地にあるので、とても目立つのです)
moi bakeryが1階の2/5くらいの床を使っているのですが、残りの1階部分と2階部分の使い方は決まっていません。ああ、もったいない、ということで、2階部分に大学で「多摩ニュータン南側実験室」を作ることにしました。アーバンデザインセンターを名乗るほどの根性もなく、「研究室」のように研究するわけでもないので、「実験室」です。そこに週に2日間、moi bakeryの開店日ともあわせて、木曜と金曜に、大学のスタッフ(饗庭研究室を卒業して、アトリエ設計事務所で修行を積んだ二人)が、常駐することにしました。大学からは車で10分くらいなので、饗庭も時々実験室に行って、moi bakeryのパンを食べながら仕事や打ち合わせをしています。
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そして人的なネットワークづくり。実験室を拠点にして、南側でいろいろなことをする人のつながりを作ろうと、ワークショップやイベントを重ねています。多摩ニュータウンは市民活動も盛んで、もともと人的なつながりには恵まれたところなので、そのやや強い結び目の一つになろうとしている、ということです。
一つの仕掛けはワークショップで、2月の18日に開催しました。その辺の人たちに集まってもらって、いろいろなアイデアを考えていただく会。もう一つの仕掛けは「多摩ニュータン南側プラットフォーム」というもので、おおよそ月に一度、ニュータウンに関わる企業さんを中心に集まっていただいて、あれやこれやと議論しながら、出来そうな事業を考えて実践していく会。この二つの仕掛けを立ち上げながら、何ができるかな、ということを少しずつ探り出しているところです。
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市民ワークショップの風景
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数ヶ月ほど、取り組みを始めてみてつくづく感じたのは、空間もよし、人もよし、という街だということ。磨きがいのある空間がゴロゴロしていますし、人と企業のネットワークもあっというまにどんどんつながります。ですので、その関係を少し結びなおし、流れを整えることで、いろいろなことができるようになるんじゃないかな、と考えています。
近いところでは、3月11日に饗庭が大学で受け持っている多摩ニュータウンを学ぶ演習の地域発表会を開催します。そして3月18日には「たまらび」という多摩信用金庫がオーガナイズしている雑誌と共催のイベントも企画しているところです。
空き家や空室の調査もスタートしたので、そこで低未利用なあちこちが見つかれば、リノベーションをかましながら、何らかのプロジェクトもスタートできるなあ、と考えているところです。
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最後に、3月11日の地域発表会の案内をつけておきます。こちらもぜひおいでください。
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首都大学東京 都市空間プランニング実習 地域発表会
多摩ニュータウン 落合・鶴牧・唐木田住区から学ぶ
首都大学東京では「都市空間プランニング実習」(東京都都市づくり公社寄付講座)において、落合・鶴牧・唐木田住区を対象とした多摩ニュータウンについての学習・調査を行いました。これまであまりまとまって研究されることのなかった各住区の全体像や、設計の経緯を掘り起こす貴重な機会となりました。その成果を、地域の方々をはじめとする、広く社会と共有したく、地域発表会を開催いたします。ふるっておいでいただけますよう、お願いいたします。
2017年3月11日(土)
9:30-12:00 落合・鶴牧・唐木田地区まちあるきツアー
   (定員20名・要事前申込・無料)
11:00-14:20 成果展示会(会場に成果を展示し、学生が解説します)
   (於 JS 多摩八角堂)(事前申込不要・無料)
14:30-16:00 公開ミニシンポジウム
   (於 JS 多摩八角堂)(定員50名・要事前申込・無料)
   中島直人(東京大学)
   田中暁子(後藤・安田記念東京都市研究所)
   松本真澄+武岡暢(首都大学東京)
   成瀬惠宏(都市設計工房代表)
   饗庭 伸(首都大学東京) 
会場 会場:JS 多摩八角堂(多摩市豊ヶ丘5-5 多摩センター駅徒歩25分)
問合せ・申込先:武岡暢(首都大学東京)
takeoka@tmu.ac.jp 080-4146-9726
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2017年2月23日 (木)

「まちづくり教書」を刊行しました

恩師佐藤滋先生の退職にあわせて、弟子ども(とかわらずパワフルな師匠)で力をあわせて、これまでの佐藤研究室を中心としたまちづくりの取り組みと理論を俯瞰するような本をつくりました。
タイトルは「まちづくり教書」、まちづくりに関わる方々にはなるべく読んでいただき、私たちが自信たっぷりにじたばたしてきたことに、是非とも一撃をくらわしていただきたいと考えています。
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饗庭はこのなかに「まちづくりの広がりと展望」「まちづくりのプランニングと研究者の実務論」「協働型の計画システムとマスタープラン」の3つの論を寄稿しました。一つ目は私なりの歴史の総括と今後への展望、二つ目と三つ目は個別の技術についての論です。
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「まちづくりの広がりと展望」では、下の図を使って私なりの史観を説明しました。この図はもともと昨年の10月末に開催された、石田頼房先生を偲ぶ会にて発表の機会をいただいた時に描いてみたもので、石田先生が中曽根民活あたりの規制緩和の流れを「反計画」とよんで、ややきつい調子で批判されていたのに対して、それ(この図では「都市再生」と呼んでいます)も、まちづくりも、実は近代都市計画を上書きするための同根の兄弟であった、ということを示したものです。兄弟は仲が悪く、兄はどんどん先細っていくような気がしなくもないのですが・・。(最後は弟が介護したりして。)
定量的ではなく、定性的ですらない、ただの挿絵ですが、わたくし自身、これからの仕事を展開していく時の頭の整理に使える図になったのかなあ、と思っています。
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「協働型の計画システムとマスタープラン」では、下の図を作りました。日本の都市計画のマスタープランは分権とともに導入され、かつ、市民協働というスタイルとともに導入されました。もう少し早い時代、たとえば70年代に新都市計画法とともに導入されていたら、マスタープランは違う形になったのでしょうが、導入された時代状況によって、マスタープランが社会においてどのように存在感を発揮するのかが違ってきます。この図は「市民協働」という状況においては、マスタープランは左のような階層的なものではなく、それぞれの分野別のマスタープランに、そのマスタープランを介して繋がっている名前のある主体群が発生し、様々な分野のマスタープランを中心として発生する名前のある主体がつながりあった地域社会が形成されるのではないか、このように捉えた方が、肩の力が抜けてすっきりするのではないか?ということを描いたものです。
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「まちづくりのプランニングと現場論」では、特に新しい図を作らなかったのですが、60年代や70年代ごろに強い影響を与えた「アドヴォカシープランニング」の幻影を葬り去るつもりでテキストを書きました。アドヴォカシープランニングと対置する概念として「まちづくりのプランニング」をあげ、その特徴を「「聞きすぎない、集めすぎない」「一体化しない」「微細な違いを際立たせる」「決定を委ねない」という点にまとめて論じたものです。このテキスト、個人的には都市計画のプランナー論の大事なところの歯車を回したつもりなので、是非ともご批判をいただければ・・
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ということで恩師も引退。2月4日の最終講義は超満員でした。
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2017年2月 5日 (日)

都市計画・まちづくりの10年についての小論

日本建築学会から刊行された「日本建築学会130年略史」に「都市計画・まちづくりの10年」という小論を寄稿しました。
130年を展望するのではなく、ここ10年ということで書いた原稿です。
書きながら、平成に入ってからの都市計画の変化=平成都市計画史を、ちゃんとまとめておかないとなあ、などと考え始めたので、こうした作業をもう少し続けたいと思っています。
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10年間の変化
 この10年間の都市計画・まちづくりの変化をどう捉えればよいか。本稿では、その変化を、官僚であれ市民であれ、人々がよい都市をつくろうと考えて意図して行った変化と、それに対して作用した「意図せざる変化」が合計されたものとして捉える。この10年間の「意図された変化」の主なものを筆者なりに整理をすると、①地方分権と規制緩和の流れ、②人口減少とコンパクトシティ化の流れ、③フローからストックへの流れ、の3つの流れがある。そして「意図せざる変化」は言うまでもなく、この10年間の折り返し時点でもある2011年に起きた東日本大震災である。この未曾有の「意図せざる変化」は、3つの流れを加速させたのだろうか、逆行させたのだろうか。本稿では3つの流れを学界の動向も交えて俯瞰しつつ、そこに「意図せざる変化」がもたらした作用を見ていきたい。
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①地方分権と規制緩和の流れ 
 地方分権と規制緩和の流れはともに2000年頃に枠組みが作られた。筆者はその枠組みを「都市計画の2000年枠組み」と呼んでいる。全国一律の都市計画だけではなく、地域性にあわせた都市計画を定める必要がある、そして地域においてしかるべきプロセスでそれを合意し、地域の主体がその合意形成や運用を担っていく、という枠組みである。「地域の主体」とは民間企業や市民であり、この枠組みは都市計画やまちづくりに二つの「キャピタル」、すなわち民間企業の持つキャピタルと個人の持つソーシャルキャピタルを動員する枠組みであるとも言える。地方分権の枠組みは90年代末の一連の都市計画法改正や地方分権一括法(1999年)などによって、規制緩和の枠組みは都市再生特別措置法(2002年)や90-00年代の一連の建築基準法の改正(天空率の導入、共用部の容積率不算入、民間建築確認の導入など)によって整えられた。
 地方分権の流れは遅い。法制度上は市町村に権限が移譲されたとしても、市町村がすぐに権限を使いこなせるようにならないからである。1999年から始まった平成の市町村合併がひと段落ついたのが2006年であり、この10年間は新しい市町村の形のもとで計画や制度が整えられ、都市計画・まちづくりが取り組まれ始めた時期である。その一方で特にこの10年間の後半期には、「コミュニティデザイン」という言葉に代表されるような、個人の持つソーシャルキャピタルを都市計画やまちづくりのために再編成する取り組みも増えた。学界の動向も、これらにあわせて市町村による都市計画制度の運用、自治組織やNPO等との関係のあり方といった点に研究が蓄積されている。
 ゆっくりと進む地方分権に比べると、規制緩和の効果は速い。2000年代初期の「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」などはバブル経済期前後に仕込まれたものであるが、それら先導的な都市再生プロジェクトに続くこの10年間は、2000年枠組みの影響を直接受けたプロジェクト、たとえば「あべのハルカス(2014年)」や「大手町連鎖型都市再生プロジェクト(2013年〜)」が続々と完成した時期である。そして、都市計画法の規制緩和がこういった大規模な土地に効果を与えた一方で、中小規模の土地には建築基準法の規制緩和が影響し、都市の中心部には中小の集合住宅が雨後の筍のように建つ街並みが、郊外部には3階建ての木造住宅を中心としたミニ戸建ての街並みが出現した。こうした規制緩和の流れに対する学界の動向は活発ではない。民間企業の開発に対して学界ができることは、どうしても事後評価になってしまうからだ。その中から、これから先の規制緩和の手綱を取るための知見が集積されるべきではあるが、現状はやや物足りない。
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 「地方分権と規制緩和」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。地方分権後の市町村の体制が組み立てられつつあるところを直撃したのが東日本大震災であった。特に被災地には規模が小さい市町村が多く、職員が多く亡くなったケースもあり、市町村は機能を失った。地域社会においても、多くの自治組織が高齢化し、力を失っていた。そのため、復興を進める体制を市町村ごと、地域ごとに独自に十分に組むことができず、中央政府や中央から派遣された専門家の関与、あるいはボランティアと称して地域に入りこんだ非専門家の関与を深めることとなり、「地域の主体」のイニシアティブ、あるいはそれらとの調整すら欠いた、乱雑な空間があちこちに整備されることになったし、空間の整備にすら至らず地域のガバナンスがいたずらに混乱しただけのところもある。「たられば」になるが、地方分権が十分になされたあと、例えば災害があと5年遅かったら今とは違う復興が行われていたのではないだろうか。また、一方の規制緩和についてみると、10年かけて蓄積してきた規制緩和の手法、民間のキャピタルを都市計画やまちづくりに動員する手法は、東日本大震災の復興には全く役に立たなかった。その手法が都市が成長することを前提とした手法でしかなかったためである。結局のところ、復興においては民間活力を活用することができず、旧来型の重厚長大な公共事業が息をふき返すことになった。
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②人口減少とコンパクトシティ化の流れ
 人口減少が正確にいつスタートしたのかは後年の統計を待たなくてはならないが、この10年間は人口減少とその時代の都市像としてのコンパクトシティについて、先駆的な取り組みとそれを踏まえた制度化が進み、学界でも研究の蓄積が大幅に進んだ時期であると言える。都市再編(富山市や夕張市など)、公共施設再編(鶴ヶ島市や秦野市など)、空き家(尾道市や鶴岡市など)といった個々の領域ごとに先駆的な実践とその評価が行われ、2014年以降には、立地適正化計画(都市再生特別措置法の改正)、公共施設等総合管理計画、空家等対策の推進に関する特別措置法、地域公共交通網形成計画・地域公共交通再編実施計画(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の改正)などが相次いで制度化されて、市町村がコンパクトシティ化に取り組むための枠組みが整えられた。ただし、整ったのは法的な枠組みだけであって、その中身は市町村のこれからの取り組みにかかっている。①で述べた分権の大きな流れの中でつくられる市町村の枠組みが問われる。その一方で、土地所有単位が細分化した我が国において、コンパクトシティが簡単にできないことも明白である。どのように現実的な、実効性のある都市像を描き、実現手段を組み立てていくかが問われている。日本建築学会においても「人口減少の時代に向けた都市の再編モデルの構築 特別調査委員会」より「CMAによる地域の空間再編と地域経営」という提言が出されている。
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 「人口減少とコンパクトシティ化」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。東日本大震災の直後にも、市街地がまとまって高台に移転するような、極端なコンパクトシティ型の都市像が議論されたように、当初は後藤新平よろしく、災害復興を機に理想の都市像を実現しようという雰囲気があった。しかし現実には、被災した人々は「安全なところに住みたい」と思いこそすれ、「集まって住みたい」とコンパクトシティを指向することはなかったし、都市像の議論が十分にできないまま、防潮堤や防災集団移転促進事業といった個別の事業が降り注いだため十分な調整もされなかった。被災した人々はとうに高台に住居を確保しているのに、行政は低地の旧中心市街地を捨てることができず、そこに公共事業を集中させている、という状況もある。岩手や宮城では、守るべき市街地の無い防潮堤が建設され、低地に誰も住まないような市街地が造成されつつあり、福島の住民は帰還を志向する人、しない人、さらに遠方に避難する人など、いくつかの場所に引き裂かれてしまった。つまり、東日本大震災からの災害復興は結果的に都市の分散を加速するようにはたらき、コンパクトシティ化を加速させる方向にはあまりはたらかなかった。逆にこれを、コンパクトシティという理想を被災者に押し付けず、被災者の個々の意向にあわせたなるべく早い住宅復興を目指した結果である、と積極的に評価することもできる。
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③フローからストックへの流れ
 建築物のフローからストックを重視する流れ、スクラップアンドビルドではなくリノベーションを重視する流れが、この10年間に単体の建築だけでなく、都市計画やまちづくりにおいても大きな流れとなり、研究や実践が進んだ。従来の都市計画はスクラップアンドビルドを行って都市の機能を向上させる手法しか持っていなかったが、小さな空き家を活用して都市施設をつくる、小規模なリノベーションを連鎖させて市街地を面的に変化させる、街路や公園などの公共空間をリノベーションして「パブリックスペース」へと賦活するという方法が発達し、制度に組み込まれた。また、新しく作られる都市空間をストックとしてとらえ、そこの価値が下がらないようにするために、「エリアマネジメント」を組み込むという方法も一般化した。いずれも、人口減少がはっきりとした傾向となり、事業採算性の面からスクラップアンドビルド型の増床型新規開発が成立しない地域や敷地において、事業のリスクを低くし、多くの人が関わってそのソーシャルキャピタルを再編成する手法として期待されていることが多い。その意味では①や②の流れと分かちがたい流れであると言える。
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 「フローからストック」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。災害はこの流れへの向かい風にしかならない。東日本大震災は厖大な数のストックを破壊し、すでに縮小が始まっていた東北の新築住宅市場を一時的に活性化し、ストック利用の市場を相対的に弱めた。また、災害で新たなリスクが明らかになり、それまで安全な場所に建ち、十分な対災害性能を持っていたと信じられていたストックに建替えを迫ることになった。また、東日本大震災以降、多くの新しい開発が「都市の防災性能の向上」を錦の御旗として推進され、スクラップアンドビルドの大義名分として「防災」が前面に打ち出されることにもなった。新規の大規模開発プロジェクトに、近隣住民の避難スペースや非常時の発電装置を備えたものが増えたのである。東日本大震災がなければ、ストック重視の流れはもう少し違ったものになったと考えられるが、つくりあげた都市空間が常に災害にジャッジされるのは我が国の宿命である。これからも災害が起きるたびにフロー重視とストック重視のバランスが規定されていくのであろう。
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アポリアが顕在化した10年間
 この10年間の3つの「意図された流れ」に対し、東日本大震災という「意図せざる変化」が、それぞれの流れを逆行させるように働いた。災害大国である我が国が宿命的に抱えるアポリアであり、これを解けないまま次の時代を迎えることになるのではないだろうか。戦後史の中でこの10年を位置付けてみると、1995年までは奇跡的に災害が少なかった50年間であり、その後のアポリアが顕在化した20年間のピークが2011年以降であると言える。これ以上アポリアが複雑化しないことを祈るばかりである。

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2017年1月28日 (土)

立地適正化計画のジレンマ集を改訂しました

(なんだかブログの更新をずっとしていませんでしたが)

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昨年の5月につくりました、立地適正化計画のジレンマ集を改訂しました。
これは、1月24日に開催された都市計画学会のセミナー「立地適正化計画の更なる展開による持続可能なまちづくりⅡ」で発表の機会をいただきましたので、そこにあわせて改訂をしたものです。
ジレンマ集は研究会をつくって検討しているのですが、昨年一年間に、研究会のメンバーがそれぞれ現場で考えたりしたことが増えましたので、合計33のジレンマを集めたものになりました。セミナーでは33の全てについてお話ししたのですが、さすがに多いし、しゃべりがどうしても単調になってしまうので、次回(どこかで機会をいただけたら)からはもう少し構造的にお話しできるようにします。
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見取り図の表は以下の通りで、ジレンマ集の本体はこのリンク先においてあります。何かのご参考にしていただければ幸いです。
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Di2

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