2018年4月 2日 (月)

大学院生を募集しています

平成30年から、大学院が新しくなりました。もともと別の学部にあった「都市政策コース」というところの先生方と一緒になって、新しく「都市政策科学域」という大学院になりました。
私の研究室はもともとは建築にルーツがあるのですが、おかげさまで建築も都市計画も都市政策も、いろいろと取り組める研究室になっています。研究室(修士+博士課程)の人数はおよそ15人くらいなのですが、基本的には学生と饗庭の一対一の関係を軸にして、研究やプロジェクトに取り組んでもらいます。常勤、非常勤の研究・教育スタッフも居ますので、その人たちと一緒に研究することも可能です。なお、新学科に移行したばかりなので、研究室に学部生はいません。
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平成31年に、どんなプロジェクトを研究室でやっているのか、現時点でははっきりと決まっていないのですが、平成30年は人口減少時代の大都市郊外(福生、日野、国分寺)の開発やエリアマネジメントの手法開発、大船渡市綾里地区での復興まちづくり、多摩ニュータウンの遊休施設の利活用と地域への展開、日野市の斜面住宅地の空き家まちづくり、晴海のエリアマネジメント、南大沢の団地のシェアハウスと集会所を中心とした食文化の創生、中国安吉県でのデザインワークショップなどに取り組む予定です。そんなことに興味がある方は、ぜひとも受験を検討ください。
悩んでいる方は、いろいろ相談に乗りますので、饗庭に連絡をいただければ。
研究室について、細かなことはここにも出してあります。
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8月の入試は2日と3日です。そこでは4月入学の修士課程、10月入学の修士課程と博士課程を募集します。説明会は5月19日です。
2月の入試は7日と8日です。そこでは4月入学の修士課程と博士課程を募集します。説明会は11月24日です。
学内学生向け、他大学学生向けに筆記試験免除の仕組みもありますので、詳しくはお問い合わせください。

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2018年3月20日 (火)

初めて学ぶ都市計画第2版が刊行されました

「初めて学ぶ都市計画」という教科書の第2版が市ヶ谷出版から刊行されました。
もとの本は10年前に刊行されたものなのですが、それを大幅に改定したものです。
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初版から10年が経ち、都市問題の深化や法制度の改正に対応する必要があったことが改定の動機です。細かな制度改正がいくつかあり、用途地域も13種類になってしまったこと、立地適正化計画が創設されコンパクトシティの政策がスタートしたこと、災害復興の分野では東日本大震災等を受けて大幅に制度が改正されたことなど、たくさんの変化を踏まえたものになっています。
目次は以下の通り。
第1章 都市計画を学ぶ
第2章 都市と都市計画
第3章 都市の構成と土地利用計画
第4章 建築物のコントロール
第5章 地区スケールの計画・ルール
第6章 都市の再生と交通システム
第7章 都市と自然
第8章 市街地開発事業と都市再生
第9章 都市と防災
第10章 都市の景観まちづくり
第11章 参加・協働のまちづくり
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あわせて旧版の構成を大きく変更しました。旧版では「現況と展望編」と「制度と技術編」の2部構成をとっていたのですが、2つの部に内容が分かれて使いにくかったこと、「制度と技術編」に初学者には高度な内容が含まれていたことから、新しい版では「現況と展望編」の内容に「制度と技術編」の一部を書き加える形で一つの講にまとめ、「制度と技術編」の多くを「用語集」としてまとめなおしました。
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事例編のページ(札幌)
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また、これがこの本の最大の特徴なのだと思いますが、実際の都市を歩いて都市計画を学習することを重視し、全国24の都市を対象とした「事例ガイド編」を新たに書き起こしました。それぞれの都市に精通する方々に執筆をお願いしました。観光名所をプロットしたようなガイドとは違い、都市計画の縁の決して派手ではない蓄積を紹介するもので、都市計画を好きな人には「たまらない」ページとなっています。編者の特権で、私はすでにいくつかの都市をこの本をもとに歩いていますが、本当に面白いです。出張や良好のお供に持って行っていただければと思います。なお、あくまでも大学や工専、専門学校で使ってもらうことを前提としているので、都市計画や建築を教えている学科がある都市に偏っています。(ごめんなさい)
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対象都市は、札幌都心部、函館、小樽、弘前、黒石、仙台、東京都心、多摩ニュータウン、世田谷、横浜都心部、高崎中心部、長岡、金沢、富山中心部、松江、名古屋都心部、京都、大阪都心部、神戸、高松、広島、福山市鞆の浦、福岡都心部、北九州市門司港地区、熊本中心部、鹿児島、と盛りだくさん。
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これから都市計画を学ぶ人も。すでに専門家の人も、是非ともご覧いただければと思います。

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2018年2月18日 (日)

多摩ニュータウン「ライブ長池地区から学ぶ」のシンポジウムを開催しました

先週の土曜日は多摩ニュータウンのことを半年かけて徹底的に学習する「都市空間プランニング」(東京都都市づくり公社の寄付講座)の地域向け発表会でした。今年の対象はわたくしも住んでいる「ライブ長池地区」。多摩ニュータウンにおいて、常に時代の最先端として問題を提起し続けているのが「諏訪・永山」という地区。オールドタウンだ、近隣商店街が空き店舗だらけだ、東京砂漠だなどと、さんざんな扱いを受けているところ。報道も研究も政策も、そこになぜか集中しているので、この授業ではバランス(?)をとるために、諏訪・永山以外を順番にやっています。1年目は貝取・豊ヶ丘、2年目は落合・鶴牧・多摩センター、そして3年目がライブ長池です。この3つはだいたい順番に(細かくはいろいろありますが)できていて、ライブ長池は90年代くらいに分譲されていく開発です。
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ライブ長池 イメージイラスト(UR都市機構のパンフレットより抜粋)
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多摩ニュータウンは住宅、商業、交通、ランドスケープなどといろいろな冒険をしているのですが、ライブ長池はどういう冒険をしたのでしょうか。
ざっくり言いますと、住宅の間取り周りの基本的な冒険はこの時期はあらかたおわり(落合・鶴牧・多摩センターで基本的なアイデアは出尽くしている)、それをランドスケープにあわせてどう配置していくかという冒険、住宅の建物で景観をどう作っていくかという冒険、コーポラティブ住宅という生産方式の冒険が取り組まれました。コーポラティブ住宅は間取りの新しい冒険につながる可能性はあったのですが、ライブ長池にあるもの(ヴェルデ秋葉台とノナ由木坂)は、そこでは勝負せず、生産方式やコミュニティ形成で勝負した感じです。
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コーポラティブ住宅 ノナ由木坂配置図
「多摩ニュータウンの住宅建設資料集 別冊集合住宅プラン集 2005年改訂版」より抜粋
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商業は、駅前の「道空間=四季の道公園」とVIA長池の吹き抜け以外は、一言でいうと勝負を捨てた感じ。近隣センターをつくろうと考えたけれども作られず(現在のPCデポーのあたり)、あとは土地だけを準備して、外部資本大型店同士の喰い合いに委ねてしまいました。駅前の「道空間」とVIA長池の吹き抜けは、今は惜しくもどちらもホコリをかぶったような感じになってしまっていますが、もとのデザインがよいので、レガシーとして磨けば新しい価値を発揮するようなポテンシャルはあります。「ガウディのコピー」とか「バブルの遺産」なんて陰口を叩かずに、しっかりと価値を前面に出していけるとよさそうです。
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四季の道公園 イメージパース(新都市センター開発のパンフレットより抜粋 1990年)
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交通は、理念的な歩車分離をやめて、現実的な歩車共存へと舵を切ったころ。これをさらなる冒険ととらえるのか、冒険の終わりととらえるのか、微妙なところです。ライブ長池地区は、多摩ニュータウンのそれまでの地区と違って、学校にも車で入れるし、全ての商業店舗にも車で行ける、ということです。「コミュニティコレクタリング」という円環状の道路が街区をつなぐものとして計画されているのですが(我が家の前も通っている)、これは2車線の道路の両側に広幅員・高デザインの歩道をつけたもので、つまりは歩車共存を象徴しているわけです。これで事故が増えたようには思えないのですが、小学校の登校時には交差点に自治会のボランティアさんが立っており、最後は人力に頼る、ということが歩車共存の落とし所ということですかね。
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コミュニティコレクタリング(赤色の道路)
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そしてランドスケープは、ニュータウン史の中で、ホップ・ステップ・ジャンプの「ジャンプ」にあたる冒険が取り組まれています。ホップはとにかく公園を計画的に配置して近隣住区理論を忠実に守ろう、というもの(諏訪・永山・貝取・豊ヶ丘)、ステップは均質的な空間を作り出してしまったホップの反省をして、「大観構造」という言葉を導入して「基幹空間」の導入をはかったもの(多摩センターからしばらく行ったところにある富士山が見える公園のこと)、そしてライブ長池では、幾何学的な手つきで基幹空間をデザインしてしまったステップの反省をして、もともとあった自然環境の形にあわせて緑地をつくっていきます。具体的には長池と、そこから流れてくる別所川をそれぞれ保全し、長池は周辺の里山も含めた公園とし、別所川をライブ長池地区の中を流れる「せせらぎ緑道」に転換して都市軸を形づくります。
ただし、もともとあった自然環境の全体構造を読み取った上で、住宅も含む全体のマスタープランに反映したわけではなく、すでに他のエリアで五月雨式に進んでいた土地の造成と住宅地開発をゼロベースで描きなおした、わけではありません。(むしろ、マスタープランから描かれたものが実現したという意味では、自然地形案を流用してつくられた貝取の北部のエリアのほうが興味深いです)エコロジカルランドスケープのリテラシーが発達した現在からみると、もう少し違う答えが出てきそうです。私はランドスケープの専門家ではありませんので、先鋭的な専門家のご意見をうかがいたいところです。
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発表会の午前中はパネルの展示会と、それと並行してまちあるきを行いました。パネル展示には近所の方がぽつぽつとおいでいただき、みなさんがかなりの時間を使ってパネルを読み込んでおられたり、学生と意見交換をしてくださったことが印象的でした。
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午後のシンポジウムは、藤村龍至さんにゲストでおいでいただいて話題を提供いただき、教員(田中暁子さん、松本真澄さん、市川竜吾さん)からそれぞれの視点での問題提起、それらをまとめて饗庭から成瀬惠宏さんに質問をぶつける、という組み立てで進めました。
論点を整理するにあたっては、以下のようなダイアグラムを描きました。赤い字は多摩ニュータウンに関する論点、青い字が藤村さんから提供いただいた、埼玉のニュータウンに関する論点です(これはその場でスライドに描いた図なので、荒っぽいです)。
地区の特性はいろいろとあるのですが、やっぱりこの地区の特性の基底にあるのは、ニュータウン開発の「民間化」だというダイアグラムです。例えば、公団は再編にともなって2000年ごろから新規の建物開発を行えなくなり、ニュータウンの用地は民間に売却するか定期借地権をつけて賃貸するしかなくなります。つまり公団や公社が直営でデザインをやり切ることができず、仕様書や指示書のようなものを通して民間へ意図を伝えることになります。
「民間化」の移行先は、「建築家・アーティスト」と「ディベロッパー」のあえて二つに分けました。この二つの分裂、断絶も問題だと思うからです。そして下のほうに「コミュニティ」があります。ニュータウンをどう設計してきたかがテーマだった今回のシンポジウムの立て付けでは、コミュニティがあまり登場しなかったからですが、「民間化」の移行先にはもちろんコミュニティがあるべきだったのだと思います。
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とても長い目で見ると、この「移行」はまだゆっくりと進んでいます。例えば、せせらぎ緑道やコミュニティコレクタリングは市に慣性的に移行され、市が慣性的ににメンテナンスをしているわけですが、そのコストは大八王子市のお財布の中ではそれほど顕在化していません。しかし、いずれ大八王子市次第ではメンテナンスができなくなることもあるわけで、そこは慣性的な移行の流れを変える何かが必要なのだと思います。
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長池公園に移設された四谷見附橋(現長池見附橋) これをメンテナンスし続けられるか?(撮影 林雄太)
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饗庭は展示会側の担当だったのでまちあるきには同行していないので、途中でどんなハプニングがあったのかは知らないのですが、事前に簡単に準備した見所は以下の通りです。じっくり歩くと3時間コース。皆さんもぜひ歩いてみてください。
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みどころ1:京王堀之内駅前のアーバンデザイン
 商業施設「VIA長池」は2核1軸の核を構成するもの。斜面地である地形のため、地形に埋め込むように作られた。屋外自由通路「四季の道公園」は駅前のアーバンデザインの目玉としてつくられた。デザインはガウディではなく雪国をイメージしたもの。もともとは短期間で使い終わる予定だった。イタリアからアーティストや職人を招聘し、若き日の安田侃の作品もある。アートディレクターは山本忠夫氏。
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みどころ2:斜面住宅地(エミネンス長池・コリナス長池)と斜行エレベーター
 使いにくい駅前の急な北側斜面を集合住宅で仕上げていったもの。公団百草団地、グリーンヒル貝取に続く、公団の斜面集合住宅の取り組み。コリナス長池の半円柱状のボリュームの中には単身者向け住戸が計画されている。
 斜面地の上下動をサポートするために、珍しい斜行エレベーターが設置された。
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みどころ3:ヴェルデ秋葉台
 東京都住宅供給公社が計画・分譲した、全115戸の大規模なコーポラティブ住宅。コーディネーターは大久保隆行氏。斜面地を活かした設計となっており、住棟に挟まれた中庭空間が魅力の一つ。多摩ニュータウンのコーポラティブ住宅のうち、コープタウン松が谷、AZ松が谷以外はライブ長池地区に集中している。他にコープタウン見附橋、ヴィレッジ浄瑠璃など。
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みどころ4:せせらぎ緑道
 2核1軸の都市構造にのっとった「軸」として、長池公園と堀之内駅前をつなぐ緑道。もともと谷筋を流れていた別所川(谷戸川)の流れをニュータウン開発区域に移し、人工的に作り出したもの。上流から下流まで、その場所のデザインにあわせた水辺空間がデザインされている。途中で橋の上を流れることに注目。
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みどころ5:コミュニティ・コレクタ・リング
 ライブ長池地区内を結ぶリング道路。無電柱であり、レンガが敷き詰められた高質なアーバンデザインが随所に施されている。この道を辿ると様々な都市デザインを楽しむことが出来る。ゴール(長池公園)からの帰り道も楽しめる。
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みどころ6:ノナ由木坂
 東京都住宅供給公社が分譲した、全252戸の大規模なコーポラティブ住宅。コーディネーターは大久保隆行氏。斜面地を活かした設計となっている。住棟に挟まれた路地的な空間、せせらぎ緑道と一体的にデザインされた住戸が魅力の一つ。
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みどころ7:長池見附橋
 四ツ谷見附橋(1913年)を解体移築してきたもの。1993年の移築から20年以上が経過し、手前に計画された姿池とあいまって、近代的な景観を創出している。橋のたもとには民間の結婚式場が立地し、美しいが不思議な景観を形成している。姿池のほとりに見附橋の謂れを説明する看板がある。
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みどころ8:長池公園 築池および長池
 もともとあった里山と池を保全したもの。これだけの大規模な里山を残した計画は当時は最先端だった。近隣住民で結成されたNPOが里山管理等も担っており、子供達向けの講座やワークショップが多く開催されている。
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みどころ9:長池公園自然館(長池ネーチャーセンター)
 長池公園の敷地内に、自然学習の拠点として作られた公共施設(2001年)。設計は野沢正光建築工房。屋上緑化、OMソーラーシステムの導入、太陽電池による発電など自然エネルギー利用を様々な方法で行った環境共生型建築。

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2017年12月 5日 (火)

「ニュータウン 夢見た先に」について

2017年12月3日の朝日新聞の朝刊に「ニュータウン 夢見た先に」という特集記事がありました。記者さんは室矢英樹さん、大隈崇さんという方。リンクはこちら
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記事は全国のニュータウンを取り上げたもので、最初に多摩ニュータウンからスタートします。そこでは、永山4丁目の小泉さんという83歳の女性の「死んだら早く見つけてほしい」というコメントから始まり、ニュータウンが高齢化しており、高知県の大川村と同じような高齢化の水準にある、と論を進めます。
他のニュータウンのことはわからないのですが、この部分について私なりの見解を出しておきたいと思います。
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まず、多摩ニュータウンの高齢化率を他のニュータウンと比較したことがなかったのですが、この記事ではそういった作業をグラフィックで示してくださっており、多摩ニュータウンのそれはすごく低いです。明石舞子団地の41.1%に比べると、半分程度の21.3%と、全国平均すら下回っています。そのことまではきちんと記事に書いてあるのですが、そのあと永山4丁目だけを切り出して、高齢化率が42%というふうに論を展開します。
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これは都市の人口構造の分析をしていたらすぐに分かることですが、町丁目くらいに単位を落として分析をすると、データがどんどんでこぼこしてきます。例えば集合住宅が一つ建つと、そこに50世帯=150人くらいが越してくることになり、町丁目が1000人くらいの人口であったとすれば、1割以上の影響があっさりと出てしまいます。高齢者がもともとたくさん住んでいるところを狙って切り出せば、高齢化率はぐいぐいとあがるデータはとれるわけですから、永山4丁目だけを取り出すのは、微妙だなーという感想です。
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なぜ微妙なのか、もうすこし突っ込んで考えてみますと、都市や村という単位で分析することの意味は、そこに住んでいる人の生活圏全体を分析する、という意味につながっています。高知県の大川村は地図で見る限りは山の中にあり、人口も521人しかいない。そこに住む人はそこで生活の大部分を完結させないといけない。だけれども、高齢者だけで人口も少ないとなると、商業施設だけでなく医療などの生活サービスも立地しないので、だから高齢化は問題になるのだと思います。
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一方の永山4丁目はどうか。高齢化しているのはこの部分だけなので、周辺には若いファミリー世帯を狙った大型店が競うように立地しています。バスの本数(都民銀行前というバス停)は昼間でも10分に1本は通っていますし、タクシーはおそらく10分くらいで来てくれるでしょう。買い物に行きたくない人のために、少しお金を払えば生協が宅配をしてくれています。生協も競争しており、3社ー4社がこの地域にサービスを展開しているので、よりどりみどりです。
つまるところ、この地域の局所的な高齢化は、周辺の非高齢化にひっぱられるようにして形成されている環境に確実に支えられているわけです。ですから、この地域だけを切り出して議論することにはほとんど何の意味もないですし、現状を見る限り、83歳の高齢独身女性が安心して暮らし続けられる程度に理想的な環境、という見方のほうが正しいのではないでしょうか。
ちなみに、83歳の小泉さんが「仕事や育児に忙しい子どもに頼れない」というくだりがあるのですが、一般的に80代の方のお子さんが子育てをしているとは考えにくいので、これが小泉さんのコメントだとすると、かなり特殊な事例を取り上げたのかなあと思います。
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また、永山4丁目はUR都市機構の賃貸団地です。都市の問題を考えるときに、URの賃貸と、公営住宅は「別の生き物」と考えた方がよいです。某市(多摩市ではない)での空き家の調査の結果を見たことがあるのですが、UR賃貸の空き家が地域の空き家率を引き上げている、ということは多くあります。URの賃貸住宅はその政策的な性質上、家賃を市況にあわせて上下させることができないため、そこには周辺の市街地とのギャップが必ず発生します。(周辺の家賃が下がるとURは空くし、逆もある)市場からずれている、という点で、「別の生き物」と考えておいた方が無難です。
では、別の生き物が生きている意味があるのか、ないのか。
永山四丁目の個々の状況はデータがないのでわからないのですが、80代の高齢者が住み続けている、ということは、所得の中ー低位の高齢者に向けた、社会的な住宅として機能しているという意味があるとも考えられます。賃貸住宅であるので、「所有者が高齢化して建て替えの意思決定ができない」というような問題も発生しないはずなので、彼らの暮らしを支えられるところまで支え、その退去後にその時に困っている中ー低位の層に対する社会的な住宅として機能させることが可能なわけです。そういう意味では、社会のお荷物のような団地ではなく、財産なのではないだろうか、と思います。
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正直、今回の報道は、年に一度くらいある「多摩ニュータウン叩き」だなあ、と思ってうんざりしたのですが、まあ、上記のようなことを学生に教える問題提起みたいには使えるわけだなあ、と思いましたので、来年の授業にでも使ってみようと思っています。

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2017年6月18日 (日)

津波で流されたところの景観を復元するプロジェクト(中間報告)

ここ1年くらいかけて、大船渡の綾里地区で「低地の景観復元」のプロジェクトに取り組んでいます。
これは住宅総合研究財団の助成金もいただきながら進めているプロジェクトなのですが、大津波で流されてしまった低地のエリアが、かつてどのような街並みだったのかをインタビューして、それを3Dの景観画像にまとめていこう、というプロジェクトです。綾里での最後の大仕事になるかもしれません。
低地の景観を復元する方法は、神戸大の槻橋先生の「記憶の街」のように、模型を媒体とする方法があるのですが、これはARC-GISをベースとしたCity Engineというアプリをつかって、3Dのモデルを立ち上げて屋根や壁の部品をパカパカ貼り付けていく方法。何度でも直しがききますし、だんだん完成に近づけていくことができます。このへんの技術は、筑波の村上暁信先生や、首都大の熊倉永子先生が開発した技術がありましたので、一緒に関わっていただいています。
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お一人よりも複数人のほうが会話をしながら記憶が掘り起こされていくので、調査には2−3人の方にきていただき、組になってお話を伺っていきます。持ってきていただいた図面や写真を見つつ、プロジェクターで映写したものを住民の人たちに見ていただきながら「こっちはこんな感じ」「もうちょっと色が違う」という風に作り込んでいきます。
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驚くのは、一組あたり、2〜3時間程度の、高い密度のインタビューが出来ること。最初のころのGISは、正直なところまだ不完全なもので、家が地盤に埋まっていたりしたのですが、みなさんあっという間に引き込まれ、出されたお茶も飲まずに、時には目をつむってアタマのなかに街並みを思い浮かべながら、丁寧にお話をしてくださいました。
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間取りを聞くと窓や扉の位置がわかるので、一軒一軒の間取りも聞いたりしながら進めるので、めっぽう面白いのですが、めっぽう手間がかかります。これまで4回くらい調査に入り、これまで30人強の方にお話が伺えたので、じわじわと出来上がってきました。とはいえ、今年の春にみていただいたところ「なんか違うなー」ということだったので、完成がまだ見えず、夏の調査にむけて作業を進めているところです。
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この復元作業とあわせて、災害後の空間(綾里では集団移転と、個別移転と、公営住宅それぞれが完成しています)の調査も進めており、それぞれの方の空間が、災害前後でどのように変化したのか、その要因はどこにあるのかを明らかにしようと考えています。そもそも空間には無頓着な人が多いので、その背景にある、無意識的に「かわらないもの」を明らかにできればいいなあ、と考えているところです。

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2017年6月10日 (土)

中国でまちづくり!

1ヶ月前のことですが、中国の成都で市民向けのワークショップを開催してきました。
3月に南京で出会ったNGOのリーダーからの依頼で、彼らが成都で開いている社区のリーダー向けの連続研修会のうちの2日間を使って、日本のまちづくりのレクチャーをしたあとに、ワークショップを体験し、さらに自分たちのワークショップを設計してみよう、という体験型講座のコーティネートです。
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たぶんパンダ以上に珍しい日本のまちづくりのレクチャー
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中国でなぜ「まちづくり」=社区営造が流行しているのか、正確には流れを理解していないのですが、どうもここ5年くらいの流行のようです。
大きくは、鄧小平の改革開放路線の中で、毛沢東時代の「単位」という、融通の効かない近隣住区のような理論(?)で作られた都市空間が、融通が効くものにあらためられ、ここ20年くらいの間に市場化が進み、民間のデベロッパーがそれを再開発したりするようになってきています。「社区営造」はその中で、「単位」の流れを組むガバナンスの仕組み(居民委員会というものがあります)を補完するものとして期待をされているようです。
具体的な担い手は「社会組織」とよばれる、NGOやNPOにあたる人たち。彼らは地域社会が大事、という原理は崩さず、組織としては地域を飛び回ってあちこちの社区に入り込んでいます。これまで南京、上海、成都の現場をざっと見てみたのですが、都市によってその導入の仕方が違うようでもあります。また社区営造の先輩である台湾(90年代中頃からスタート)の人的な影響も随分と受けているようです。
成都では20代そこそこの若いリーダーの人たちにも会ったのですが、彼らははっきりと「2008年の四川大地震が人生を変えた」と語っており、災害で社会の中の助け合いのようなものが顕在化したことも影響があるとのこと。この辺の状況は、あと1年くらいかけて研究室でも調べたいと考えています。
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会場の社区はこんな感じ。いくつかの集合住宅群がまとまった社区です
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饗庭に声をかけてくれたNGOのリーダーは、呉楠先生という方。南京で設計事務所を主宰する建築家なのですが、まずは自分の住む社区の住民としてテニスのサークルをつくり、そこからどんどん社区のマネジメントの方に活動を展開させ、それを専業とするNGOをつくり、そのNGOがあちこちの社区営造の仕事を受けるようになった、とのことです。
成都で現場を仕切っていたお姉さんは、学生の時にインターンでNGOに入り、そのまま就職したそうです。設立されてから数年で、走りながら事業を組み立てているような、本当に若い組織でした。
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社区の車庫の上に作ったコミュニティーガーデンを説明してくれたNGOのスタッフ
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成都には初めて行ったのですが、沿岸部の都市にくらべると落ち着いているそうで、人口の流出も少ないそう、少しゆっくりした時間の流れを感じました。中心部にある人民公園はすごいことになっており、あらゆる場所が、市民の余暇やサークル活動やおしゃべりに使われていました。ここに限らず、中国の人たちはパブリックスペースを使うのが本当に上手というか、遺伝子に染みついているような感じでした。
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合唱のサークルが公園で練習をしていました
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さて肝心のワークショップですが、饗庭の研究室でいつも使っている「みんなでまちづくり」というワークショップの内容を微調整して翻訳したものを持参しました。96人の参加者で、8人×12グループという、日本でもなかなかない規模のワークショップ。ニーハオも満足にしゃべれない私に替わって、饗庭研の中国女子二人(金静さんと呉君さん)にびしばしと会場を仕切ってもらいました。
1日目の午前は日本のまちづくりについてのレクチャー、様々なワークショップ手法についてのレクチャーをし、その後に「みんなでまちづくり」をテーブルごとに試用します。
「みんなでまちづくり」は、地図を机に広げ、参加者がある役割になりきった上で、「まちをこのようにしたい」とビジョンを発表し、他の参加者が手持ちのツールカードを使ってそのビジョンの実現手段を提案し、最後に全員で一番いい提案を選ぶ、というシンプルな構造を持ったゲームです。
それを一通り体験したあとに、グループごとに会場周辺の社区に散って、「まちの課題」と「まちづくりに使えるかもしれないツール」を調査し、それを会場に持ち帰って、2日目の午前中にかけてそれぞれのグループごとにオリジナルの「みんなでまちづくり」を作ります。
そして最後にお互いにオリジナルの「みんなでまちづくり」を試しあう、ということで一連のワークショップが終了です。
わたくしはニーハオくらいしか言えないので、1日目の午後からは、何を議論しているのかわからなかったのですが、終わった後の笑顔を見るに、おそらくは成功裏に終了したものと思います。
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参加者はみな若く熱気がありました
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「みんなでまちづくり」は、私が早稲田にいた時に勉強していた「まちづくりデザインゲーム」を、私が学生たちと発展させたものですが、今回中国に持っていくにあたって、「そもそも果たして通用するのだろうか」という懸念がありました。
「まちづくりデザインゲーム」の方法は、この書籍にまとめてはあるのですが、ごく簡単に述べると、参加者がまず「目標」を選び、「生活シーンカード」とよばれるもので将来の生活イメージを組み立てた上で、その二つを根拠にして提案を作っていく、というものです。私の「みんなでまちづくり」では、「目標」と「生活シーン」を言葉ではなく絵的なイメージで選ぶようになっており、それを根拠に提案をつくっていきます。いずれも市民参加の場で初めて出会う人たち、あるいは日常的に顔をあわせていてなんだか議論が煮詰まってしまった人たちに対して、「目標」を仮置きして、それを手掛かりにして集団を結びつける、という方法ですね。
懸念は、この「目標」という概念が、そもそも中国の人にどう受け止められるかわからない、ということでした。私が乏しい情報で想像するに、毛沢東の時代は「単位」とされた共同体ごとにかなり具体的な「目標」が決められていたはずで、つまりは「目標」は社会を統制する厳しく融通の聞かない言葉として機能をしていたはず。とても固い言葉として受け止められたらどうしよう、ということが懸念の一つ目。一方で、「目標」なるものを立てずとも、機能する議論の場もあります。私が日本国内で取り組んでいる現場でも、そんな持ってまわったことをしなくても議論がさくさく回る場があります。「目標」が不要な社会だったらどうしよう、ということが懸念の二つ目でした。
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ワークショップの様子
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結論から言いますと、参加者の反応だけを見るに(繰り返しますが、何を言っているのかはわからないのですが)、どちらの懸念も杞憂だったなあ、ということです。成都に限ったことなのかもしれませんが、ワークショップのやり方はスムーズに受け入れられました。もちろん微細なところでの微調整は、こちらではわからないので、終わった後のアンケートを分析しているところです。
また、とても面白かったのは、このワークショップは一番いい提案をした人にコインが渡る、というゲーム形式をとっているのですが、これは参加者に大受けでした。早く終わったグループが、カードをつかって新しいゲームを開発するほどに。成都の人たちは街角で麻雀やらトランプやらのゲームをしているのですが、ゲーム好き国民・・ということなのかもしれません。
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新しいゲームを始めてしまった人たち
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成都は連日30度超え、1年分の山椒とパクチーと唐辛子を採った1週間でした。ちなみにわたくし、非常に四川料理が体にあうらしく、出されたものは全て食べつくしました。辛さというよりは量で胃が疲れてしまいました。
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火鍋、めちゃくちゃ美味しい

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2017年6月 9日 (金)

まちづくり市民活動の読み方

5月末に今年から審査員をつとめている、ハウジング&コミュニティ財団の助成団体の交流会出席のため尾道に。ながらく見たかった尾道の空き家再生のプロジェクト群も見学することができました。
HC財団は92年にできた財団なので、もう25年。設立時に確か当時にトヨタ財団にいらした山岡義典さんが助言をされて、ハウジングとコミュニティの分野の市民団体にまとまった活動資金を助成するプログラムをもってスタートした財団だったと記憶しています。当時はまだNPO法もなかったわけですが(山岡義典さんはその後にNPO法をつくる方向に展開される)、25年の間に、すっかりこうした活動が太い流れになってきたのだなあ、と実感する1日でした。
今年は全部で172件の応募があり、いくつかの関門をくぐり抜けた15件が助成団体となっています。当日はこんな感じで発表を伺って、あれやこれやと知恵の交換をしていました。
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(写真はHC財団の大内さん提供)
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2000年から2005年ごろにかけて、5つくらいの自治体で「まちづくりファンド」などの市民団体への助成金への審査のお仕事を集中的に引き受けていた時期があり、それは私にとって、地域社会で起きている課題と、それに対して市民が時に野性的に、時に規範的に組み立てた対応を知る、とても勉強になる時間でした。
地域のプランニングにとりかかる時に、客観的な分析作業をして地域社会で起きている課題を抽出する、という方法はもちろん大事なのですが、まちづくりファンドを、ある時点の多主体の主観的な課題認識とそれへの対応策をざっくりと網にかける方法として捉えると、地域社会分析の一つの手法として捉え直すことができますね。
ハウジング&コミュニティ財団はこれまでの助成団体の一覧を公開しているので、これらを分析することで地域社会の課題変化の一断面を切り出すことができます。
ちなみに、今年は、ともかく空き家を使った提案が多かったです。私は今年からですが、これは近年の傾向なのかもしれないです。見学会で見た尾道の取り組みにもたくさんのヒントがありました。
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とはいえ、「ハウジング」も「コミュニティ」も、はたまた「すまい」も「まちづくり」も、もともと日本の社会の中には無かった言葉であり、饗庭説では、人口増加をとりあえず乗り切るためにやむを得ず導入された言葉。
人口が減っていくと、この言葉を使わなくてもよくなってくるはず、わざわざこの言葉で結びつかずとも地域社会は運営されていくはずなので、その時にこれらの言葉とどう距離を取っていくのかが、最近の饗庭の研究テーマではあります。
交流会に参加した今年の助成団体の活動を拝見しながら、この方々の野生感と規範感あふれる市民的実践を、「すまい」や「まちづくり」という言葉に無理に包摂せず、「すまい」や「まちづくり」という言葉を乗り越える実践としていくには、どういうふうにしたら良いのだろう、とつらつらと考えていました。
尾道を見て思ったのは、空き家や空き地がなんだか土木っぽいなあ、ということ。建物としての機能をいったん終えて、ただの土と木の構築物になったときに、それらを削り出すようにして空き家が再利用されています。
尾道は地形があるので、地形と一体化してしまった土と木の構築物を削り、再構築して新しい地形を作り出していく、という感じでしょうか。
その「地形をつくる」というところに、「すまい」や「まちづくり」という言葉を乗り越える実践があるのかなあ、とつらつらと考えています。
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尾道の人道橋。こんな感じで土と木が地形と一体化しています。

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2017年5月 5日 (金)

晴海の魅力を考えるワークショップの成果がまとまりました

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晴海トリトンスクエアのマネジメントを担っている晴海コーポレーションの方々から声をかけていただき、昨年から晴海地区のまちづくりを手伝っています。渦中の築地と豊洲に挟まれていて、オリンピックの選手村が建設されつつあるところです。

大きな依頼は、選手村の跡地活用も含め、晴海地区全体で2万人がこれから増える予定で、そこのコミュニティをしっかりつくっていくような、地区全体のエリアマネジメントの仕組みを構築したい、ということ。

再開発業界の方や、エリマネ業界の方はよくご存知のとおり、晴海トリトンスクエアは2000年代初頭に完成した巨大な再開発プロジェクトで、そこには完成後の街をマネジメントしていこう、と先駆的にエリアマネジメントの仕組みが立ち上がっています。大丸有ほどではないのですが、のちに続いたあちこちのエリアマネジメントのお手本の一つにもなっているところです。

その経験を生かしつつ、これから建て込んでくる超高層開発の新しい住民を巻き込みながら、何ができるだろうか?ということがこのプロジェクトのお題です。

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トリトンスクエアの最上階から選手村の予定地を見たところ。これだけの土地に超高層開発が建ち並んでいきます。
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 日本国内では珍しく人口が大量に流入するエリアのまちづくりで、普段は人口定常ー人口減少地域のまちづくりばかりやっているので、その落差を噛み締めながらプロジェクトを進めています。とはいえ、エリアマネジメントはつまるところ、新しい人間の関係をどう作っていくか、ということに限るので、昨年度は市民、学生、プロが参加する3つのタイプの異なるワークショップを開催して、どういう人たちが、どういうモチベーションでこの町に関わろうとしているか、ということをまずは掘り起こすことをしていました。
饗庭の研究室だけでは手に負えないし、一つの大学で抱え込むつもりもなかったので、ワークショップには芝浦工大の佐藤宏亮さんと、明治大(当時)の泉山塁威さんにも入っていただきました。

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ワークショップはこんな感じで開催

半年弱の期間で8回のワークショップはなかなかハードでしたが、はっきりとわかったことは、国内の他の場所のどこよりも、若い世代が多い、ということでした。市民向けのワークショップはトリトンスクエアの公開空地で開催したのですが、通りすがりの子連れの若いお父さんやお母さんが興味深そうに話しかけてきたり、ワークショップの参加者に「昨年に引っ越してきました!」という方が多かったりで、個人的にはとても新鮮な経験でした。

1年目の成果は、ワークショップで得られたアイデアをまとめたタブロイド新聞のようなものを発行することにしました。レイアウトデザインはcotonaの片岡照博さん。個人的にはこの見開きのページが気に入っています。

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今年度はこれまで地区で活動を続けてきた「晴海地区ビジョン推進会議」という会議体と一緒になって、いくつかの具体的なことに取り組んで行こうと考えているところです。

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