2017年6月18日 (日)

津波で流されたところの景観を復元するプロジェクト(中間報告)

ここ1年くらいかけて、大船渡の綾里地区で「低地の景観復元」のプロジェクトに取り組んでいます。
これは住宅総合研究財団の助成金もいただきながら進めているプロジェクトなのですが、大津波で流されてしまった低地のエリアが、かつてどのような街並みだったのかをインタビューして、それを3Dの景観画像にまとめていこう、というプロジェクトです。綾里での最後の大仕事になるかもしれません。
低地の景観を復元する方法は、神戸大の槻橋先生の「記憶の街」のように、模型を媒体とする方法があるのですが、これはARC-GISをベースとしたCity Engineというアプリをつかって、3Dのモデルを立ち上げて屋根や壁の部品をパカパカ貼り付けていく方法。何度でも直しがききますし、だんだん完成に近づけていくことができます。このへんの技術は、筑波の村上暁信先生や、首都大の熊倉永子先生が開発した技術がありましたので、一緒に関わっていただいています。
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お一人よりも複数人のほうが会話をしながら記憶が掘り起こされていくので、調査には2−3人の方にきていただき、組になってお話を伺っていきます。持ってきていただいた図面や写真を見つつ、プロジェクターで映写したものを住民の人たちに見ていただきながら「こっちはこんな感じ」「もうちょっと色が違う」という風に作り込んでいきます。
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驚くのは、一組あたり、2〜3時間程度の、高い密度のインタビューが出来ること。最初のころのGISは、正直なところまだ不完全なもので、家が地盤に埋まっていたりしたのですが、みなさんあっという間に引き込まれ、出されたお茶も飲まずに、時には目をつむってアタマのなかに街並みを思い浮かべながら、丁寧にお話をしてくださいました。
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間取りを聞くと窓や扉の位置がわかるので、一軒一軒の間取りも聞いたりしながら進めるので、めっぽう面白いのですが、めっぽう手間がかかります。これまで4回くらい調査に入り、これまで30人強の方にお話が伺えたので、じわじわと出来上がってきました。とはいえ、今年の春にみていただいたところ「なんか違うなー」ということだったので、完成がまだ見えず、夏の調査にむけて作業を進めているところです。
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この復元作業とあわせて、災害後の空間(綾里では集団移転と、個別移転と、公営住宅それぞれが完成しています)の調査も進めており、それぞれの方の空間が、災害前後でどのように変化したのか、その要因はどこにあるのかを明らかにしようと考えています。そもそも空間には無頓着な人が多いので、その背景にある、無意識的に「かわらないもの」を明らかにできればいいなあ、と考えているところです。

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2017年6月10日 (土)

中国でまちづくり!

1ヶ月前のことですが、中国の成都で市民向けのワークショップを開催してきました。
3月に南京で出会ったNGOのリーダーからの依頼で、彼らが成都で開いている社区のリーダー向けの連続研修会のうちの2日間を使って、日本のまちづくりのレクチャーをしたあとに、ワークショップを体験し、さらに自分たちのワークショップを設計してみよう、という体験型講座のコーティネートです。
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たぶんパンダ以上に珍しい日本のまちづくりのレクチャー
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中国でなぜ「まちづくり」=社区営造が流行しているのか、正確には流れを理解していないのですが、どうもここ5年くらいの流行のようです。
大きくは、鄧小平の改革開放路線の中で、毛沢東時代の「単位」という、融通の効かない近隣住区のような理論(?)で作られた都市空間が、融通が効くものにあらためられ、ここ20年くらいの間に市場化が進み、民間のデベロッパーがそれを再開発したりするようになってきています。「社区営造」はその中で、「単位」の流れを組むガバナンスの仕組み(居民委員会というものがあります)を補完するものとして期待をされているようです。
具体的な担い手は「社会組織」とよばれる、NGOやNPOにあたる人たち。彼らは地域社会が大事、という原理は崩さず、組織としては地域を飛び回ってあちこちの社区に入り込んでいます。これまで南京、上海、成都の現場をざっと見てみたのですが、都市によってその導入の仕方が違うようでもあります。また社区営造の先輩である台湾(90年代中頃からスタート)の人的な影響も随分と受けているようです。
成都では20代そこそこの若いリーダーの人たちにも会ったのですが、彼らははっきりと「2008年の四川大地震が人生を変えた」と語っており、災害で社会の中の助け合いのようなものが顕在化したことも影響があるとのこと。この辺の状況は、あと1年くらいかけて研究室でも調べたいと考えています。
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会場の社区はこんな感じ。いくつかの集合住宅群がまとまった社区です
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饗庭に声をかけてくれたNGOのリーダーは、呉楠先生という方。南京で設計事務所を主宰する建築家なのですが、まずは自分の住む社区の住民としてテニスのサークルをつくり、そこからどんどん社区のマネジメントの方に活動を展開させ、それを専業とするNGOをつくり、そのNGOがあちこちの社区営造の仕事を受けるようになった、とのことです。
成都で現場を仕切っていたお姉さんは、学生の時にインターンでNGOに入り、そのまま就職したそうです。設立されてから数年で、走りながら事業を組み立てているような、本当に若い組織でした。
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社区の車庫の上に作ったコミュニティーガーデンを説明してくれたNGOのスタッフ
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成都には初めて行ったのですが、沿岸部の都市にくらべると落ち着いているそうで、人口の流出も少ないそう、少しゆっくりした時間の流れを感じました。中心部にある人民公園はすごいことになっており、あらゆる場所が、市民の余暇やサークル活動やおしゃべりに使われていました。ここに限らず、中国の人たちはパブリックスペースを使うのが本当に上手というか、遺伝子に染みついているような感じでした。
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合唱のサークルが公園で練習をしていました
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さて肝心のワークショップですが、饗庭の研究室でいつも使っている「みんなでまちづくり」というワークショップの内容を微調整して翻訳したものを持参しました。96人の参加者で、8人×12グループという、日本でもなかなかない規模のワークショップ。ニーハオも満足にしゃべれない私に替わって、饗庭研の中国女子二人(金静さんと呉君さん)にびしばしと会場を仕切ってもらいました。
1日目の午前は日本のまちづくりについてのレクチャー、様々なワークショップ手法についてのレクチャーをし、その後に「みんなでまちづくり」をテーブルごとに試用します。
「みんなでまちづくり」は、地図を机に広げ、参加者がある役割になりきった上で、「まちをこのようにしたい」とビジョンを発表し、他の参加者が手持ちのツールカードを使ってそのビジョンの実現手段を提案し、最後に全員で一番いい提案を選ぶ、というシンプルな構造を持ったゲームです。
それを一通り体験したあとに、グループごとに会場周辺の社区に散って、「まちの課題」と「まちづくりに使えるかもしれないツール」を調査し、それを会場に持ち帰って、2日目の午前中にかけてそれぞれのグループごとにオリジナルの「みんなでまちづくり」を作ります。
そして最後にお互いにオリジナルの「みんなでまちづくり」を試しあう、ということで一連のワークショップが終了です。
わたくしはニーハオくらいしか言えないので、1日目の午後からは、何を議論しているのかわからなかったのですが、終わった後の笑顔を見るに、おそらくは成功裏に終了したものと思います。
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参加者はみな若く熱気がありました
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「みんなでまちづくり」は、私が早稲田にいた時に勉強していた「まちづくりデザインゲーム」を、私が学生たちと発展させたものですが、今回中国に持っていくにあたって、「そもそも果たして通用するのだろうか」という懸念がありました。
「まちづくりデザインゲーム」の方法は、この書籍にまとめてはあるのですが、ごく簡単に述べると、参加者がまず「目標」を選び、「生活シーンカード」とよばれるもので将来の生活イメージを組み立てた上で、その二つを根拠にして提案を作っていく、というものです。私の「みんなでまちづくり」では、「目標」と「生活シーン」を言葉ではなく絵的なイメージで選ぶようになっており、それを根拠に提案をつくっていきます。いずれも市民参加の場で初めて出会う人たち、あるいは日常的に顔をあわせていてなんだか議論が煮詰まってしまった人たちに対して、「目標」を仮置きして、それを手掛かりにして集団を結びつける、という方法ですね。
懸念は、この「目標」という概念が、そもそも中国の人にどう受け止められるかわからない、ということでした。私が乏しい情報で想像するに、毛沢東の時代は「単位」とされた共同体ごとにかなり具体的な「目標」が決められていたはずで、つまりは「目標」は社会を統制する厳しく融通の聞かない言葉として機能をしていたはず。とても固い言葉として受け止められたらどうしよう、ということが懸念の一つ目。一方で、「目標」なるものを立てずとも、機能する議論の場もあります。私が日本国内で取り組んでいる現場でも、そんな持ってまわったことをしなくても議論がさくさく回る場があります。「目標」が不要な社会だったらどうしよう、ということが懸念の二つ目でした。
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ワークショップの様子
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結論から言いますと、参加者の反応だけを見るに(繰り返しますが、何を言っているのかはわからないのですが)、どちらの懸念も杞憂だったなあ、ということです。成都に限ったことなのかもしれませんが、ワークショップのやり方はスムーズに受け入れられました。もちろん微細なところでの微調整は、こちらではわからないので、終わった後のアンケートを分析しているところです。
また、とても面白かったのは、このワークショップは一番いい提案をした人にコインが渡る、というゲーム形式をとっているのですが、これは参加者に大受けでした。早く終わったグループが、カードをつかって新しいゲームを開発するほどに。成都の人たちは街角で麻雀やらトランプやらのゲームをしているのですが、ゲーム好き国民・・ということなのかもしれません。
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新しいゲームを始めてしまった人たち
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成都は連日30度超え、1年分の山椒とパクチーと唐辛子を採った1週間でした。ちなみにわたくし、非常に四川料理が体にあうらしく、出されたものは全て食べつくしました。辛さというよりは量で胃が疲れてしまいました。
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火鍋、めちゃくちゃ美味しい

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2017年6月 9日 (金)

まちづくり市民活動の読み方

5月末に今年から審査員をつとめている、ハウジング&コミュニティ財団の助成団体の交流会出席のため尾道に。ながらく見たかった尾道の空き家再生のプロジェクト群も見学することができました。
HC財団は92年にできた財団なので、もう25年。設立時に確か当時にトヨタ財団にいらした山岡義典さんが助言をされて、ハウジングとコミュニティの分野の市民団体にまとまった活動資金を助成するプログラムをもってスタートした財団だったと記憶しています。当時はまだNPO法もなかったわけですが(山岡義典さんはその後にNPO法をつくる方向に展開される)、25年の間に、すっかりこうした活動が太い流れになってきたのだなあ、と実感する1日でした。
今年は全部で172件の応募があり、いくつかの関門をくぐり抜けた15件が助成団体となっています。当日はこんな感じで発表を伺って、あれやこれやと知恵の交換をしていました。
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(写真はHC財団の大内さん提供)
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2000年から2005年ごろにかけて、5つくらいの自治体で「まちづくりファンド」などの市民団体への助成金への審査のお仕事を集中的に引き受けていた時期があり、それは私にとって、地域社会で起きている課題と、それに対して市民が時に野性的に、時に規範的に組み立てた対応を知る、とても勉強になる時間でした。
地域のプランニングにとりかかる時に、客観的な分析作業をして地域社会で起きている課題を抽出する、という方法はもちろん大事なのですが、まちづくりファンドを、ある時点の多主体の主観的な課題認識とそれへの対応策をざっくりと網にかける方法として捉えると、地域社会分析の一つの手法として捉え直すことができますね。
ハウジング&コミュニティ財団はこれまでの助成団体の一覧を公開しているので、これらを分析することで地域社会の課題変化の一断面を切り出すことができます。
ちなみに、今年は、ともかく空き家を使った提案が多かったです。私は今年からですが、これは近年の傾向なのかもしれないです。見学会で見た尾道の取り組みにもたくさんのヒントがありました。
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とはいえ、「ハウジング」も「コミュニティ」も、はたまた「すまい」も「まちづくり」も、もともと日本の社会の中には無かった言葉であり、饗庭説では、人口増加をとりあえず乗り切るためにやむを得ず導入された言葉。
人口が減っていくと、この言葉を使わなくてもよくなってくるはず、わざわざこの言葉で結びつかずとも地域社会は運営されていくはずなので、その時にこれらの言葉とどう距離を取っていくのかが、最近の饗庭の研究テーマではあります。
交流会に参加した今年の助成団体の活動を拝見しながら、この方々の野生感と規範感あふれる市民的実践を、「すまい」や「まちづくり」という言葉に無理に包摂せず、「すまい」や「まちづくり」という言葉を乗り越える実践としていくには、どういうふうにしたら良いのだろう、とつらつらと考えていました。
尾道を見て思ったのは、空き家や空き地がなんだか土木っぽいなあ、ということ。建物としての機能をいったん終えて、ただの土と木の構築物になったときに、それらを削り出すようにして空き家が再利用されています。
尾道は地形があるので、地形と一体化してしまった土と木の構築物を削り、再構築して新しい地形を作り出していく、という感じでしょうか。
その「地形をつくる」というところに、「すまい」や「まちづくり」という言葉を乗り越える実践があるのかなあ、とつらつらと考えています。
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尾道の人道橋。こんな感じで土と木が地形と一体化しています。

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2017年5月 5日 (金)

晴海の魅力を考えるワークショップの成果がまとまりました

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晴海トリトンスクエアのマネジメントを担っている晴海コーポレーションの方々から声をかけていただき、昨年から晴海地区のまちづくりを手伝っています。渦中の築地と豊洲に挟まれていて、オリンピックの選手村が建設されつつあるところです。

大きな依頼は、選手村の跡地活用も含め、晴海地区全体で2万人がこれから増える予定で、そこのコミュニティをしっかりつくっていくような、地区全体のエリアマネジメントの仕組みを構築したい、ということ。

再開発業界の方や、エリマネ業界の方はよくご存知のとおり、晴海トリトンスクエアは2000年代初頭に完成した巨大な再開発プロジェクトで、そこには完成後の街をマネジメントしていこう、と先駆的にエリアマネジメントの仕組みが立ち上がっています。大丸有ほどではないのですが、のちに続いたあちこちのエリアマネジメントのお手本の一つにもなっているところです。

その経験を生かしつつ、これから建て込んでくる超高層開発の新しい住民を巻き込みながら、何ができるだろうか?ということがこのプロジェクトのお題です。

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トリトンスクエアの最上階から選手村の予定地を見たところ。これだけの土地に超高層開発が建ち並んでいきます。
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 日本国内では珍しく人口が大量に流入するエリアのまちづくりで、普段は人口定常ー人口減少地域のまちづくりばかりやっているので、その落差を噛み締めながらプロジェクトを進めています。とはいえ、エリアマネジメントはつまるところ、新しい人間の関係をどう作っていくか、ということに限るので、昨年度は市民、学生、プロが参加する3つのタイプの異なるワークショップを開催して、どういう人たちが、どういうモチベーションでこの町に関わろうとしているか、ということをまずは掘り起こすことをしていました。
饗庭の研究室だけでは手に負えないし、一つの大学で抱え込むつもりもなかったので、ワークショップには芝浦工大の佐藤宏亮さんと、明治大(当時)の泉山塁威さんにも入っていただきました。

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ワークショップはこんな感じで開催

半年弱の期間で8回のワークショップはなかなかハードでしたが、はっきりとわかったことは、国内の他の場所のどこよりも、若い世代が多い、ということでした。市民向けのワークショップはトリトンスクエアの公開空地で開催したのですが、通りすがりの子連れの若いお父さんやお母さんが興味深そうに話しかけてきたり、ワークショップの参加者に「昨年に引っ越してきました!」という方が多かったりで、個人的にはとても新鮮な経験でした。

1年目の成果は、ワークショップで得られたアイデアをまとめたタブロイド新聞のようなものを発行することにしました。レイアウトデザインはcotonaの片岡照博さん。個人的にはこの見開きのページが気に入っています。

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今年度はこれまで地区で活動を続けてきた「晴海地区ビジョン推進会議」という会議体と一緒になって、いくつかの具体的なことに取り組んで行こうと考えているところです。

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2017年4月19日 (水)

現代の都市をハワードの目線で読んでみよう/「明日の田園都市」の書評

SD2016に、山形浩生さん新訳の「明日の田園都市」の書評を寄稿しました。
改めて読むと発見の多い、いい本(名著ではなく、フツーにいい本)だったので、こちらにも再掲しておきます。
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現代の都市をハワードの目線で読んでみよう
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■旗色が悪い田園都市?
 1902年に刊行された原書で提唱された「田園都市」は、ル・コルビュジェの「輝ける都市」とともに、19世紀に誕生した近代都市計画が目指した代表的な都市像であり、20世紀にはその影響を受けた新都市が世界中に作り出された。わが国でも、戦災復興が落ち着いたあたりから新都市建設が本格化し、千里ニュータウン、多摩ニュータウン、つくば研究学園都市、といった都市が次々とつくられた。現在にいたるまでの大きな新都市建設運動の原典の一つが本書である。一方で本書はジェイコブスによる「アメリカ大都市の死と生」において徹底的な批判を受ける。ジェイコブス以降の都市論において本書の旗色は悪く、時代遅れで使えない理論、という刻印を押されていることもある。特に人口減少時代を迎えたわが国においては、新都市をつくる機会そのものがなくなっている。もはや使われることのない、古き良き時代の古典、現在の本書への評価はそんなところだろう。
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■短波ラジオからボックスセットまで
 我が国の近代都市計画が始まった1888年から現在まで、本書は何回も翻訳されている。最初の翻訳は1907年、内務省の官僚によるものである。昔の若者が短波ラジオを通じて海外の音楽を聴いていたようなもので、雑音が多い情報を頼りに譜面を書き起こしていた時代。まだまだ田園都市は限られた人のものであった。2回目はその60年後、1968年にSD選書として刊行された。それまでの間、田園都市が忘れ去られていたわけではない。当時の技術者たちは、田園都市以降に世界各国で建設された新都市の知識を貪欲に取り入れ、国内の新都市設計に活かしていた。シンプルな装幀をまとったSD選書は、音楽を安価に庶民に配るシングル盤のようなものとして、この原典を再び流通させた。3回目はその30年後の2000年に、本書の訳者である山形浩生がインターネット上に公開したものである。音質の悪いシングル盤に換えて、音源をリマスターしたものをナップスターのように公開した、ということなのだろう。そしてその16年後、未発表音源も加えたボックスセットのような本書を私たちは手にすることができた。まるでビートルズの音源のように、繰り返しリイシューされる本書を、どのように使えばよいだろうか。
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■近代のパタンを組み合わせる
 本書が何度もリイシューされるほどの長い間、近代都市計画は続いている。そして印刷技術と情報伝達技術の発達によって、私たちはその蓄積にたやすく触れることができる。本書もその一つである。もちろん、新しい技術の開拓の余地はあるが、新たな都市問題に直面した時に、古今東西の近代都市計画の技術のパタンを召喚し、それを組み合ることによって、課題解決の糸口を見つけることができる、私たちはとっくにそういう時代に入っているのではないだろうか。求められるのは、パタンの蓄積とそれを見渡す力、それらの編集力である。たとえば四畳半の空間をつなぐようにクルドサックをつくってみたり、自然公園の中に生物の動線をわけるラドバーンをつくってみたり、編集と組み合わせによって、たくさんの課題解決ができるのではないだろうか。
 そう考えると、本書の使い方ははっきりしてくる。田園都市をいつでも召喚可能な「今日の田園都市」としてあなたの手持ちのパタンにいれる、ということである。
 そのためにも、私たちは、まず本書と、その後にできたレッチワースを切り離す必要がある。評者は本書を自身の住む多摩ニュータウンと照らし合わせながら読んでいたのだが、そこには、共通点を見出すのが難しいほどの差がある。訳者も指摘するように、ジェイコブスをはじめとする田園都市への批判は、出来上がった空間への批判であることが多く、本書への正当な批判でないことが多い。後世の批判に目を曇らせることなく、本書に込められたパタンを丁寧に理解し、身に付けるとよいだろう。

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■人々がつくる都市の原理
 本書の帯には「住民の立場から考えられた初の都市計画論」という文句が踊っている。この「住民」という言葉は、ある場所に住み続けたい人たちのことを想起させるが(まさにジェイコブスが根拠としたものである)、すこし語弊がある。ハワードが田園都市を考える手がかりとしたのは、稼いで消費する経済的な主体として、あちこちに移動し集住する「人々」である。「市民」というほど立派なものでもない、よい暮らしを求める当たり前の人々。近代によって誕生したこうした人々が、少しよい方向に判断を積み重ねていくときに、どういう都市を求めるかを描き、それに投資して、近代の歯車を少し早く回しましょうよ、と主張したものが本書である。
 近代の歯車が何回転かした100年後の現在において、世界のあちこちで、そして日本でも、それなりによい都市が出来上がっている。ハワードの提案は、新都市ではなく、人々が当たり前の小さな判断を積み上げて作り上げた現代の都市の原理を言い当てているようにも読める。つまり、今の「それなりによい都市」を改善する時に、ハワードの目線は有効であり、本書はその重要なパタン集にもなりうるのではないだろうか。

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2017年4月 3日 (月)

グローバル都市東京を学ぶツアーマップができました

東京都都市づくり公社から寄附をいただいて、3つの講座を開いているのですが、最も組み立てに頭をひねっている授業が「グローバル都市東京研究」という授業です。
これは、学生たちが海外(アジア)の学生に東京を案内するスタディツアーをデザインして、1日案内をして、議論をするというもの。
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2日間のツアーはこんな感じで終わります。手前の慌てた感じに注目。
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単なる観光ツアーや、ディープ東京ツアーのようなものではなく、大都市を考える論点が表出しているようなところをまわり、考える。そしてついでに英語に関する色々な力を身につける。たぶん、他の大学には無い、オリジナルの授業ではないかと思います。たとえば1週間くらい、海外で当地の大学とじっくり合宿をして、アーバンデザインの提案をつくるようなプログラムはそこそこあります。あるいは、海外の都市に行ってひたすら都市ツアーをするようなプログラムもそこそこあります。狙ったのはその中間くらいです。
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今年は東京の墓問題に切り込んだグループがありました。
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3年間で合計9つのツアーが企画されました。ネタもたまりましたので、ここらで地図にまとめようかーと思い、カイシトモヤさんの事務所(担当は前川景介さんと原田祐里江さん)にお願いして素敵な地図を作ってもらいました。
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ツアーは全部で9本。秋葉原キャンパスを使っているので、都心ばかりです。
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ここに置きましたので、ご興味の方はダウンロードください。
同じコンテンツのweb版はこちらからも見ることができます。
2017年、18年、19年と、もう一セットこの地図ができるところまで続けたいと考えています。
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2017年3月28日 (火)

2016年度の饗庭研究室修士論文

今年は4人の学生が饗庭の研究室を修了しました。4人とも学部は違う大学だったので、大学院の間の丸々2年間のおつきあいです。鶴岡での街路デザインのワークショップを一緒に動かしたり、綾里での博物館を一緒に作ったりした学年、ちょうど都市づくり公社の寄付講座がスタートしたので、参加型デザイン実習(大学の池に夕涼みの場所をつくったり、モバイル図書館をつくったり)、グローバル都市東京研究(アジアの学生を東京に案内するスタディツアーを企画したり)、都市空間プランニング実習(多摩ニュータウンにやたら詳しくなったり)をたっぷりと経験した学年になります。
それぞれ自分なりに研究テーマを固めて、面白い論文を仕上げてくれました。
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廣田眞美子さんは、空き家特措法の制定後に、全国の自治体がどのような政策に取り組みつつあるのか、横断的な実態調査に取り組み、特に空き家やその跡地を「まちづくり」に活かしている施策の実態を調査しました。空き家に関する政策はほっておくと「特定空き家」を特定して壊すことが最大のイベント、あとは適当に空き家バンクでも作っておきましょうか、という感じになりそうな中、空家跡地の活用についての施策を展開することがこれからの大事なポイントになるんじゃないかなあ、と考えているところで、そのあたりの実態調査に取り組み、全国の自治体から20くらいの空家跡地活用支援の制度を抽出し、その中でも饗庭も関わっている鶴岡のランドバンクの取り組みを詳細に調べました。鶴岡のランドバンクは一つ一つの事例の個別的な状況にあわせてやりかたを細かくチューニングして解いており、その多様さを客観的な手つきで明らかにしました。他の全国の空家跡地活用支援の制度も、いずれ調べてみたいなあと思っていますが、廣田さんの修論としてはここまでです。
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長崎舞子さんは、空き家などを活用して住宅地の中につくられる拠点のようなものを「弱く開かれた場」と定義して、調布市や稲城市といった大都市郊外の住宅地の中にあらわれた「弱く開かれた場」の実態を詳細に明らかにしました。この手のケーススタディにおいては、例えば在宅介護の支援施設のリストや、NPOのオフィスのリストを使って、網をかけていくように絞り込んでケースを抽出することが普通ですが、それだと特定の機能に属するものしか抽出されない、ということになってしまいます。ですからこの研究では、特定の地域を歩いて探し、長崎さん流のこだわりで見つけた事例から共通点を探しながら「弱く開かれた場」を定義していく、という何とも根気のいる作業に取り組みました。最初から最後まで、自分の問題意識を掘り下げながら、つねに仮説を描き続けるという作業ですね。住宅地が成熟するとさまざまな機能を持った、機能を複合させた空間が地域に現れてき、そこには都市計画の議論、土地利用計画の議論が少し発生するのですが、その一端を明らかにすることができたように思います。
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張鈺さんは、中国から留学してきた80年代の若者が、留学後に日本の都市の中でどのように住宅を選択していくのか、を明らかにしました。外国人居住の問題は、例えば新大久保や川口の芝園団地など、特定の国籍の人が集中したところ=何らかの問題が発生していそうなところがこれまで対象になってきましたが、多くの中国の人は集中せずに、普通に隣人として多く暮らしているわけで、彼らはどこからやってきて、どのような考えで居住地を選択しているのだろうか、ということに注目をしました。最初は日中友好会のようなところにお願いをして、在日中国人のアンケート調査を行おうかと企画したのですが、どこにも断られてしまい、最終的に張さんが編み出したのは、入国管理の手続きにやってきた人を捕まえて、ひたすらインタビューを重ねていく、という方法で、80年代生まれの29人の人のデータをとることができました。そんなことを調べた統計はもちろん存在しませんので、貴重なデータがとれたのだと思います。結論は「中国の人たちは、日本の人たちとそれほどかわらず住宅を選択する」という、拍子抜けするほどシンプルなもの。来日当初は日本語学校のある新宿や池袋に集中しますが、その後は入学した大学の近くに転居し、やがて就職や結婚等にあわせて動いていく。大きく言えばそういう流れですが、細々とした移動に中国人ならではの理由が透けてみるようでもあり、まだまだ展開できそうな研究でした。
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稲葉美里さんは饗庭の立地適正化計画の調査にくっついてきたりするなかで「地方の工業都市とコンパクトシティ」というテーマで研究に取り組みました。地方都市にとって工場(といっても、重工業、加工業から流通業までいろいろなのですが)は、朝晩の通勤行動を大発生させたりするなど、都市構造の重要な要素。しかし、コンパクトシティの政策、さらに言えば都市計画に組み入れるにはなかなか厄介で、都市計画であまり明確な位置付けをもちません。では地方都市に立地した工場が、市街地の形成にどのような影響を与えたのか?ということに取り組んだ研究です。全国的なアンケート調査をしたほか、こまかなケーススタディとしては岩手県の北上市にお世話になりました。調べてわかったことは、やはり都市計画において工場はあまり丁寧に扱われていない、ということ、しかし、北上の工場にアンケートをしたら、それなりに市街地に立地する寮や家賃補助の仕組みを持っている、市外から工場に就職した人がまちの中に住む後押しになっていそうだ、ということがわかったので、施策化するとしたら、工場それぞれの持つ住宅支援策に介入し、住宅地の再編成につなげていくということはできそうかも、という結論でした。工場と都市の研究は、いわゆる企業城下町の研究は蓄積があるのですが、現代の工場は複雑な挙動をします。そこに少しだけ切り込めたかなあ、という研究です。
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いくつかは、学会に発表をしようと準備をしているところなので、ご期待ください。

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2017年3月19日 (日)

フォトモンダージュをつくるワークショップ手法

まちづくりの現場で写真を使って合意できる景観を探り出す「フォトモンダージュ」という方法を使っています。
これまで、大船渡市綾里地区の防潮堤のデザイン(2012年)、山形県鶴岡市の街路整備(2015年)、某区の都市計画道路の沿線の街並み(2017年)、の3つの現場で使ってみました。時々思い出したように使っているだけですが、ちゃんとまとめたことがなかったので、その方法と成果をまとめておきます。
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方法はとても簡単で、対象の景観の写真を準備しておき、その上に街並みなどのパーツの写真(例えば路面のパターンや街路樹のパターンなど)を重ねていき、それを参加者の方に見ていただきながら、みなが「これだ!」と言える景観写真をつくり出すというもの。PCの中にAdobe社のPhotoshopを入れておき、Photoshopのレイヤー機能を使って重ねる写真を切り替え、それをプロジェクターで映写しながら進めます(上図がオペレーションの画面)。事件の目撃者に犯人の顔のモンタージュ写真を作ってもらうのと同じ要領です。Photoshopの本来の使い方ではないのかもしれませんが・・・
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上図は大船渡市綾里地区で防潮堤のデザイン案を検討した時に準備したもの。こうしたデザインのバリエーションをあらかじめphotoshopのレイヤーに仕込んでおき、パチパチ切り替えながら話しを進めていきます。なおこの資料は、震災後に岩手県が刊行した防潮堤のデザインガイドラインから作ったもの。震災後は、こうしたもののデザインの検討にあまり時間をかける余裕がなく、少ない時間の中で漁師さんたちにデザインのオルタナティブを理解してもらう必要がありました。岩手県のガイドラインはとてもわかりやすくまとめてありましたが、それでもそれを見ながら議論をすると時間がかかりそうでしたので、ガイドラインの中身をフォトモンタージュのパーツで作り、それを見ながら決めていきました。
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上図が案の変遷です。途中で樹木を足したり、緑化にしたり、行きつ戻りつしましたが最終的にはシンプルなものに落ち着きました。少人数の小さな集落で開いたワークショップでしたので決まるのは早く、7人で30分くらい検討をして、案を決めることが出来ました。
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上図は鶴岡の街路整備のデザイン案の検討。ここでの検討は、震災復興と違って緊急性がなく、街路整備のデザインを決めるだけでなく、まちづくりに発展するような検討が求められました。つまり、正確に決めるためのフォトモンダージュではなく、イメージを膨らませるためのフォトモンタージュです。ややラフな、考える余地、発想の余地をたくさん残した素材を準備し、それを組み合わせながらデザインを考えていきました。イメージを膨らませるために、モンタージュのパーツをどれくらい準備するのか、(たとえばベンチの種類なんてそれこそ無限にあるわけで・・)苦心しました。
この時は4つのテーブルに分かれて検討し、それぞれ1時間もかからないで幾つかの案をテーブルでまとめることができました。ワークショップの結果からデザイン要素を抽出して整理し、これの次のワークショップでは絞った案を模型にし、さらに2回議論をしてデザイン案を決定しました。このワークショップは議論がたくさん出る、にぎやかなワークショップ(ともすれば意見が多すぎてまとめるのに苦労するワークショップ)だったのですが、一つの画面にグループの人たちが集中するので、具体的な成果が速くまとまる方法だなあ、ということをあらためて感じました。
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上写真は2週間前に開催した某区の都市計画道路の沿線のまちづくり懇談会。ここでは都市計画道路の整備にあわせて、周辺の街並みを検討しています。道路整備にあわせて沿道の用途地域を変えるかどうか、地区計画をかけるかどうか、という検討につながっていく懇談会です。
住宅街にできる広い復員の道路であり賛否が様々であること、そして道路に土地を買収される地権者さんたちも参加する会合であることから、鶴岡のワークショップとは異なり、事前に行政とも十分にオルタナティブ(準備するパーツ)を準備してのぞみました。前二つのワークショップは研究室で準備しましたが、このワークショップはコンサルさんが準備しましたので、よりプロっぽい正確さ、精密さを持ったモンタージュになりました。
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3カ所での経験を並べてみると、それぞれ位置付けや、結論の抽象度、そこで得られるべき合意の強度のようなものは違うので、それなりにチューニングはしています。しかし、どれの場合も、参加者が集中し、具体性を持った議論を行い、そしてその場で決まったことが確認できる、という意味では共通していました。
下図は、最終的に決まったものを模造紙に映写し、それにさらに意見や修正点を手書きで書き込んでいるところ。こんな感じで、デジタルとアナログを重ねていくこともでき、合意形成のサポートツールとしては結構つかえるなあ、と感じているところです。
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