2022年4月 2日 (土)

卒計イベントについて思うこと

建築系以外の人にはピンとこないのでしょうが、建築の大学には「卒業設計」というならわしがあります。4年間なり、6年間なりの自分が学んだことの集大成として、自分で「問い」を立て、自分でそれを建築を使って解いてみる、ということをやります。
教育側はそれを評価するわけですが、同じ課題を解いているわけではないので、当然ながら評価にばらつきが出る。教える側には10人から20人くらいのスタッフがいるので、そのばらついた評価の平均点をとり、時に合議をかましたり、投票をかまりたりして、評価を決めていきます。
それでもやっぱりばらつきが出るので、いろいろな大学の学生たちが結託して、自分たちで独自にコンテストをひらき、そこに違う人を呼んで、評価をしてもらう、という「卒計イベント」とよばれるならわしもあります。大学の内部の卒業設計の評価は20人くらい、卒計イベントの評価は5人くらいで行われることが多いので、単純に考えると卒計イベントの評価の方がばらつくわけですが、ばらつくなりに、学内では日が当たらなかった自分の設計が評価されるかもしれない、ということです。
そしてこのならわしが全国に広がり(何個あるのか知らないですが)、卒業する年の2月から3月にかけて、学生たちはちょっとしたJリーグ戦士にでもなったつもりで、全国を転戦するわけです。模型を運搬するだけで数万円のコストがかかるので、転戦する人は一人当たり数十万円の持ち出し。もう、自分の会社の利益のほとんどをお祭りにぶっこんで、お神輿をかついで盛り上がる、下町の社長みたいな感じになっているわけです。他の国にあるのか知らないですが、面白いならわしだと思います。
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私は普段は建築学科では教えておらず、卒業設計そのものを指導してはいないのですが、この卒計イベントの審査に呼ばれることがちょくちょくあります。今年も西の方で開かれた卒計イベントに行ってきました。会場に着くと100作品くらいが「さあ評価してくれ」と待ち構えていて、2時間くらいで全てを評価し、その後に8作品くらいを選んで合議制で優劣を決めていくという仕組み。知らない学生ばっかりなので、傷つけても、褒めすぎても責任がとれないので、力を加減しながら、多方面に、高速で100本ノックを打ち続ける。まあとてもくたびれる1日だったのです。
とはいえ、私にとってはとても楽しい仕事の一つで、いろんなことを考えるなあ、と自分が刺激を受けることもありますし、自分が考えている「問い」と同じことを考えている学生がいたりすると、嬉しくなったりします。私は「問い」を都市計画を使って解くわけですが、建築を使って解くと、こうなるんだな、という発見もあります。
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でも少しあるといいなと思ったのは、もうちょっとゆっくりとした時間の卒計イベントがあってもいいのではないか、ということ。個人的には、超高速のクリティークじゃなく、超低速のクリティークをやってみたいと思うわけです。100人の卒計イベントではなく、3人くらいでやる卒計イベントとか、1人でやる卒計イベントとか、呼ばれたら行ってみたい。泊まりがけでじっくり話すとか、ぬるい日本酒と目刺が準備されていて、ちびちびやりながら6時間くらいクリティークするとか。
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そんなことをなぜ考えたかというと、来年の演習の授業にとある現代詩人を呼んで、クリティークをしてもらおうとお願いをした(そして引き受けていただけた)ときに、「当日に言葉を簡単に出すことができないから、事前に準備させて欲しい」と、至極当たり前なリクエストをいただいたこと。こちらはなんとなく、ラップバトルみたいな感じで、詩人からはポンポン言葉が出てくるんじゃないかと思っていたのですが、そりゃきちんと言葉をつむぐには、そうだよな、と反省した次第。こちらが論文で10000字を使ってくどくど伝えることを、詩人は10行くらいに圧縮して伝えてくるわけで、言葉に使っている時間が違う。
2時間で100人に対して言葉を使うのではなく、こちらも丁寧に言葉をつむいでみたいと考えたわけです。
建築の教育にせよ、私が関わっている都市政策の教育にせよ、言葉を速く喋る練習はするのですが、遅く喋る練習はしません。その人の持っている最初の速度があったとして、1000本ノックを打ったり、プロテインを飲ませたりして、その速度を速めることはするものの、遅くする教育は滅多に実践されない。自分の設計を10分で説明することはできるようになっても、2日かけて説明することなんて、プロでもほとんどの人ができない。
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今の「卒計イベント」が、非生産的なイベントにしかなっていないので、やめてしまえ、ということを言いたいわけではなく、社会には様々な速度が必要だと思うので、超高速のイベントもやればいい。何ならもっと高速にして、「スピードの向こう側」を目指してほしい。一方で、超低速を設計すること、超低速の卒計イベントの場を設計することも大事なんだろうな、と思うわけです。いろいろなスピードがあるのが、やっぱりいい社会だと思うわけですし、建築も都市計画も、これからますます、いろいろな種類の速度を設計しないといけないわけですしね。

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2021年8月22日 (日)

新型コロナウイルス感染症と都市・コミュニティ・市民の暮らし

本日は自治体学会の分科会に呼んでいただき、少しご無沙汰な先生方にオンラインで囲まれてドキドキしながら発表でした。司会は鈴木伸治さん、お題は「新型コロナウイルス感染症と都市・コミュニティ・市民の暮らし」。予言者ぶって、胸をはって「こうなります」なんて言えないことがはっきりしたので、「全体的に見通しが立たず、小さなことをあれこれやるしかない状況」という、何とも気分が上がらないことをもっともらしくお話しいたしました。
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政治やら都市計画の世界で大勝負をするのではなく、暮らしに近い小さなところで押したり引いたりのせめぎ合いをするしかなく、その小さなせめぎ合いの勝ち負けの積み上げで、じんわりと社会が変わっていく・・なんてイメージです。昨年末に新建築に発表したテキストでつくった表をあらためて使ってみました。

Ricovery
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最後にオープンスペースの議論になったのですが、「コロナで慣習が解けて、今は第二次か第三次かの、オープンスペースウォーズが勃発しているとき。キッチンカーやらが出て面白くなったOSもあれば、子供が騒いで在宅勤務の人から文句が出て使いにくくなったOSもある。あちこちの公園に新しい「〇〇禁止」という看板を立てられてしまう前に、「〇〇できます」という看板を立てていく」みたいなことを口走ってしまい、(これはたぶん私のオリジナルのアイデアではなく、どこかで聞いたアイデアだったと思うのですが)、いいアイデアだなあと思い起こしているところです。
コロナでじんわり、だらだらと、世の中のあちこちのルールが書き換えられており、せめてベターな方向に書き換えていきましょう、それを空間に刻印していきましょう・・ということです。
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ということで、久しぶりに議論すると、色々新しいことを思いついて、いいもんですねー。自治体学会も、本当にいい議論の場でした。亡き田村明先生、ありがとうございました!

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2021年8月 7日 (土)

若者からはじまる民主主義

「自分にあわせてまちを変えてみる力」という、アジアのまちづくりについてまとめた本を編集くださった萌文社の青木沙織さんから両角達平さんの「若者からはじまる民主主義」というご本を恵投いただきました。
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大雑把にわけると、教育学や政治学に分類されるような本で、私はほとんど素人ではあるのですが、体系的でわかりやすく読める本でぐいぐいと読了しました。プロジェクトや制度が単発的に紹介されるのではなく、社会の仕組みが体系的に理解できる、という意味で、ずいぶん前の本で分野も違うのですが、平山洋介先生の「コミュニティ・ベースト・ハウジング」を読んだときと同じような読了感でした。前半では若者団体、教育政策と学校、ユースセンターといった仕組みを構成する柱が事例もまじえて手際良く紹介され、それらが民主主義の基盤になっている・・という後半につながっていきます。若者参加が民主主義の基盤であるということ、言われてみれば当たり前のようなことに気づかされました。もう少し踏み込んで欲しかったところは、やっぱり気になる徴兵制(2018年に男女を対象とするものとして復活したそう)との関係ですかね。日本の若者が海外の若者と喋るときに、最初に大きな違いとして感じるのがそこなわけで。
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彼我の違いがどこにあるのかな、と気になる人口バランスを調べてみましたら、スウェーデンは、日本で起きなかった第三次ベビーブームらしいものがあり、かつ凸凹がそれほど激しくないといういい形をしていました。0歳から74歳まで、ほとんどの年齢階級が全人口の6%くらい(=人口の90%が74歳以下に均等に分散している)。移民が多いそうなので、民族別に見ると違った形のものが合算されている可能性はありますし(ホワイトは日本みたいに少子高齢、移民は多子短命ということがありそうですが、スウェーデンは移民を分けた統計をつくっていないそう)、そもそもスウェーデンはWW2の際は中立国だったので、戦後のベビーブームのようなことは起きていないかもしれないです。
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この形の上に、若者向け政策がしっかりと降り注ぐわけですが、この本のはその政策が若者の結社化(NPO的なものをつくる)を重視するものである、ということを紹介していきます。そりゃそうだよなと思ったのは、結社の活動が、ほぼ政府からの助成金で支えられていること。日本の場合は、90年代に政府と市場がいろいろ失敗してしまい、新自由主義的な枠組みに切り替えつつあったときに、ややたまたまNPO法がつくられたわけで、NPOには無意識的に「成長せよ、自立せよ、法人の収益が出ない程度に稼げ」という、人によっては理不尽な圧力がかかり続けたわけです。リソースが少ない家庭にたまたま生まれた子供のような扱いで、NPOはどこもかしこも苦労続き。みんなが古い家(政治と行政の世界)を追い出されて、小さな家が集まった新興住宅地でこじんまりとしたコミュニティを作っている感じになってしまい、結果的に「NPOの世界」と「政治の世界」と「行政の世界」が、この20年間、あまり統合されずに来てしまったように思います。だから政府のリソースがうまく使われない。
スウェーデンは長年の福祉国家の枠組みが維持されているわけで、政府による助成のプログラムがしっかりと準備されており、若者団体が「自分たちこそ公共だ」ということを競い、助成金(税の配分の奪い合い)のレースに参加できるようになっており、「NPOの世界」と「政治の世界」と「行政の世界」が統合されていくようになっている・・ように思いました。とはいえ、その基底をつくっているのが徴兵制なんじゃないかなあ・・とは思うので、もうちょっと慎重に判断はしたいところです。
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異なる国をそのまま比べて、そのまま直輸入というわけにはもちろんいかないわけですが、日本はもう人口が減るから、リソースを分散せずにうまいこと統合していきましょう、なんてことを考えてしまうわけで、この本をヒントにして、細かなところからしか出来ないだろうけど、リソースがうまく統合されるような、制度のデザインをあれこれやっていきたいなあ、と思った次第です。

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2021年7月28日 (水)

参加型デザイン実習2021

前期の授業がほぼ終わったので、ぼちぼちと報告を。
学生たちが公共空間を手作りする「参加型デザイン実習」という授業があるのですが、今年はほぼ予定していた通りのプログラムで開講することができました。7月10日が発表会。
昨年に大幅にカリキュラムを変え、学年があがってきた都市政策科学科の3年生(ほとんど文系)と、いろいろな大学からやってきた有象無象の大学院生をまぜ、初対面も多い素人っぽい学生が集団で公共空間をどう組み立てるのか、という命題に取り組むものです。教え手側は饗庭に加え、市川竜吾さん、佐藤研吾さん、そして最終回ゲストは山根俊輔さんという、いっぷう変わった建築家の人たち。
カリキュラムの最初は「エクササイズ」と呼んでいるワークショップのプログラム。初回の「大きさと形」は寸法と図形を屋外に持ち出してあちこちに置いて体験するというプログラム、2回目の「見立て」は台車に机や椅子を積み、やはりそれをあちこちに置いて体験するというプログラムです。これらで体をならした後に「何を明らかにするのか」というお題を立てて持ち寄った上で、グループをつくり、お題を解くための形を作っていく・・というものです。形をつくるときには、ほぼ図面は引かず(引けず)、学内で場所を探し、そこでエクササイズ的なものを行いながら、ああでもない・・と決めていくようになりました。建築の学生とこういった作業をするときは、途中で必ず図面化のプロセスが入るのですが(そこで必ず「こんなの作りたかったんですよ」という思い入れのようなものが発露する)、それをほとんど経ずに、エクササイズで得た感覚から形をつくるところまでつなげていくことができたのは、面白い発見でした。
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全部で6回の授業で空間を組み立て、あとは平日の昼間に授業の合間を縫って試行錯誤し、その結果を最終的に発表するというもの。それぞれのグループが立てたお題は「お一人さまと賑やかさ」「実用的なもの」「休憩」「自然」といったもの。なんだかぼんやりしているように見えますが、空間を組み立てながら検討しているので、ぼんやりした言葉を、あえてそれ以上言語化せずに空間化し、それを日常の言葉で語りなおしていくような、そんな作業ができたように思います。発表も「こんな空間を作りました」という発表ではなく、「こんなお題を立て、それをこういう試行錯誤の上で解いていきました」という、なんというか、都市政策的な発表でした。
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終わってみて、この6回をうまく再編成したら、普通の市民向けのワークショップに使えるなあ・・という、次なる展開がむくむくと・・。

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2021年7月27日 (火)

ケルアックとビートジェネレーション

先週から「綾里 津波のあいだ展 in 神戸」の展覧会が人と防災未来センターで始まっており、設営、シンポジウム、ギャラリートークのために西宮ー神戸をうろうろしていたのですが、阪神岩屋の駅近くにある美術館でケルアックとビート・ジェネレーションの展覧会をやっていました。
これがまた、なかなか素晴らしい内容。文学展なので展示物は書籍やリトルプレスばかりなのですが、ビート・ジェネレーションからヒッピーカルチャー、その日本での広がりあたりまでを押さえてあり、「誰が集めていたんだろう」と思わせるミニコミやポスターの現物がびっしりと展示されています。私が通っていた高校には卒業論文があり、私はなぜかこのあたりのことを取り上げたので(そうはならなかったけど、その後にそのまま新宗教にはまってしまいそうな典型的な危うい高校生)、ひええ、見たかったやつだ、っていう感じでした。当時はインターネットなどないわけで、リトルプレスやフライヤーが小さなコミュニティをつなぎ、書籍が文化の底流をつくっていく、ということで、今よりも強い紙の媒体の力を感じさせる展示でした。

「ビート・ジェネレーション・ブック・カタログ」と題されたカタログもかなりの充実っぷり。おそらくどこにも巡回しないと思われますので、お近くの方は是非。(ついでに人防にも寄ってください)8月8日まで。

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2021年7月20日 (火)

綾里 津波のあいだ展 in 神戸

コロナ渦ではありますが、神戸の人と防災未来センターにて以下のような展示を予定しております。トークイベントなどは、こちらで随時情報発信しますので、peatixのフォローをよろしくお願いします。関西方面のみなさま、是非とも足をお運びください。
(私も何度か会場でお話をさせていただく予定ですが、緊急事態宣言で一抹の不安が・・)
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綾里 津波のあいだ展 in 神戸
明治三陸津波(1896)〜昭和三陸津波(1933)〜東日本大震災(2011)を超えて
〇開催期間:2021年7月20日(火)〜 8月15日(日)
(会期中の休館日 7/26(月), 8/2(月), 8/10(火)を除く)
〇開場時間:9:30〜18:00(入館は17:00まで)、金・土曜日は、 9:30〜19:00(入館は18:00まで)
〇会場:阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 西館1Fロビー(無料ゾーン)
〒651-0073 神戸市中央区脇浜海岸通1-5-2 https://www.dri.ne.jp
〇主催:綾里地区研究会(代表:饗庭伸 東京都立大学教授)
 (饗庭伸+青井哲人+池田浩敬+石榑督和+岡村健太郎+木村周平+辻本侑生+山岸剛)
〇協力:阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター
〇助成:トヨタ財団2018年度社会コミュニケーションプログラム「記憶の分有-災害にレジリエントな社会形成に向けて-」
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2021年6月28日 (月)

アナ・チンの「マツタケ」

アナ・チンの「マツタケ」を読了。とても面白い本でした。あれこれヒントになりそうな言葉を書き出しておきます。とりわけ、アッセンブリッジと潜在的コモンズは、うまいこと使いこなしていきたい言葉だと思いました。
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多数の世界制作プロジェクト:わたしたちは人間と人間以外の存在による、多数の世界制作プロジェクトに囲まれている。世界制作プロジェクトは、生きるための日々の活動から生まれるものである。その過程を通じ、わたしたちの惑星は変化させられてきた。それらの過程を観察するためには、人新世の「人類の」が持つ陰の部分に、わたしたちの注意をふたたび向けなおさねばならない。(p.33)
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アッセンブリッジ:生態学者はこの用語を、ときに固定的で限定的な意味合いをもちうる「コミュニティ」を回避するためにもちいている。アッセンブリッジ内で、多様な種がいかに影響しあっているかという問いは、解決されないままである。ある種はたがいに邪魔しあうであろうし、共生している場合もあるだろう。単におなじ場にいあわせただけのこともあるだろう。アッセンブリッジは閉じていない集まり(ギャザリング)である。(p.34)
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疎外:疎外は絡まりあいをほどく形式なのであって、疎外が資本主義的生産を形成することである。資本主義的商品は、それぞれの生活世界から剥ぎ取られ、さらなる投資を生むための貨幣として使用される。無限大の需要は、ひとつの帰結である。投資家が欲しがる資産にはきりがない。したがって、疎外は蓄積を促進することができるし、たくさんの投資資本を可能とする。(p.202)
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科学:資本主義と同様、科学を翻訳機械ととらえることは有意義である。科学は機械的な性質を持っている。なぜならば、教師、専門家、査読者たちが一団となって立ちはだかり、無駄な部分を削ぎ落とし、残った部分を適切な箇所にはめ込もうと手ぐすねをひいて待ち構えているからである。科学は翻訳的な性質も持っている。なぜならば、科学的洞察というものは多様な生のあり方から導きだされるものだからである。(p.327)
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不確定性:不確定性は、歴史の終わりなのではなく、むしろ、たくさんのはじまりが潜んでいる結節点なのである。政治的に聞くことは、まだ明確化されていない共通の課題を見つけることである。(p.382)
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潜在的コモンズ:そのような場はふたつの意味で潜在的である。まず、いたるところにあるもにもかかわらず、わたしたちが気づくことはほとんどない。つぎに未発達である。まだ実現されていないが、可能性を秘めている。とらえどころもない。潜在的コモンズはブラウンのように政治的に聞くことのなかに存在するものであり、わたしたちの気づく術と関係している。潜在的コモンズによってコモンズの概念は拡大される。(p.383)

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2021年6月17日 (木)

NEW NEIGHBORHOOD

雑誌WIREDの「NEW NEIGHBORHOOD」特集を少しお手伝いしました。この言葉からこちらが想像するよりもすこし大胆に世界を広げてくれています。
若い時に、自分のやっていることが分からなくなった時に、こういった雑誌が展望をつくってくれたこともあり(当時は主にスタジオボイスだったなあ・・)、都市計画や都市開発をど真ん中でやっている人たちに、見渡しをひろげるために、読んでいただきたい特集です。

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«「と老人」というゲームを開発しました