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2016年1月

2016年1月 2日 (土)

「津波と綾里博物館展」の報告

ずっと復興をお手伝いしている大船渡市三陸町綾里地区で、2015年の9月に「津波と綾里博物館展」という展覧会を開催してきました。

企画をたて、会場となる空き家を見つけ、DIYで展示空間をつくり、4日の間お客さんを迎える、という濃密なプロセスでした。3ヶ月前の話なのですが、やっとまとめることが出来たのでアップしておきます。書いているうちに、すごく長くなってしまいました。
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Chirashi
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そもそも綾里で博物館を開こうと考えたきっかけには、二つの問いがありました。
1つ目の問いのきっかけになったのは、東北大の佐藤翔輔さんの「大きな博物館ではなく、地域にある小さな博物館に津波の記録があるのって、なかなかいいんじゃないですかね」という一言でした。今回の災害は、阪神淡路があった20年前に比べると、1つの地域にあるカメラのレンズの数からして全然違うわけで、万人が記録する、万人が発信する初の災害なわけです。そこに小さな「場所」をつくることで、何が起きるだろうか、ということが1つ目の問いでした。
もう1つの問いは、計画とは何か、超長期のまちづくりを担保する計画とは何か、という問いです。次なる津波は30年後かもしれず、50年後かもしれず、80年後かもしれません。それに対して現在にあちこちでつくられ実践されている復興計画の意志が持続するせいぜい10年くらいであり、その時間はいかにも短く、限定的にしか役に立ちそうにありません。では、超長期の期間にわたる意志を持続させるには何が必要で、それを「計画」はどう支えるのか。その「計画」は、どのようなメディアを使って表現され、それを支える視点はどうつくりうるのだろうか、このことが2つ目の問いでした。80年間にわたって空間をプランニングし続ける事は不可能かもしれないけど、何らかの仕掛けによって、80年後に意志を届ける事が出来るかもしれないな、と考えたわけで、「超長期の都市計画」を伝えるメディアとして、博物館はアリかもな?と考えていました。
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さて白状しておくと、この二つの問いに対して、「きっとこうだろうな」という仮説はあまりありませんでした。普通の建築や都市計画であれば、それを見た時の人々の反応や、その計画に対して、人々がどういう関係をつくるか、おおよそ想像がつきますし、そこからだいたいの落としどころをつかみながら進めていくのですが、津波博物館なる「都市計画」と人々がどういう関係をつくるのか、全く見えていませんでした。
しかし、あまり確信も自信も無い中であちこちに企画を説明してまわっていたのですが、意外な事にこの企画は多くの人にすんなりと受け入れてもらうことが出来ました。「何の役に立つのか」を、あまり深く説明しなくても、多くの人からちょっとした協力をいただけましたし、「やめとけよ」「やめてくれ」という言葉は全く聞きませんでした。 これは逆に言えば、立ち止まってじっくり考える時間があまりとれなかった、ということでもあり、「何が出来るのか」を深く考える事無く、設計を重ね、DIYのプロセスに入っていったわけです。
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会場となったのは、1933年の昭和三陸津波後に綾里地区に高台移転でつくられた「復興地」にある古い住宅です。復興地には昭和の津波のあとに住宅が建つわけですが、多くは標準的な設計で建っていったと言われています。それを「復興住宅」と言えるかどうかは分からないのですが、そこにある種の近代が出現したわけです。
その後に住宅は個々に建て替わっていきますが、いくつかは当時の姿をとどめており、今回の会場は1937年(津波の4年後)に建った住宅で、ずっと空き家だったものです。 私たちの目から見れば、この住宅は歴史的に意味があるものなのですが、もちろん地元の人は何の意味も感じていない、という典型的なパターンでした。
小さな町なので、空き家のオーナーさんはあっという間に見つかり、あっさりと使用の許可をいただくことが出来たので、この住宅自体も展示物としてみていただく、ということで展示の計画を進めました。
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住宅の軒裏には「棟箱」とよばれるものが打ち付けてあり、そこには棟札などが入っています。それによると、この住宅の建て主は当時の20代前半の若者でご存命だったらちょうど100歳くらい、大工の棟梁は綾里で代々大工さんを営んでいた方でした。
会期中に大工さんのお孫さんがたまたま見にいらして、「じいさんの仕事が残っていた!」と興奮して、もう一度一族郎党を引き連れて見にいらっしゃったことが印象的でした。
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最初の1週間はDIYという名前の大掃除からスタートでした。
部落長さんやご近所さんらに挨拶回り等をすることが出来たということもあるのでしょうが、この場所は小さい町の中心にあり、何をやっているのかが割合と速いスピードで町の中に伝わっていったようです。
小さなまちの素晴らしいところですが、DIYがスタートした日から、会場にはお茶やお菓子や食事を絶え間なく持ってきていただけましたし、地元の方のお宅に食事におよばれする事も多くありました。これは本当に感謝です。
プランは、設計をサポートいただいた伊藤暁さんのサイトに詳しいですが、平屋の住宅の建具を取り払い、ぐるっと廻る新たな動線を導入するというものでした。
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住宅は一時期は複数の単身者向けの貸家になっていたり、学校の先生の住宅として使われていたことがあるそうで、それぞれの時代に蓄積されていった小さな造作があり、それをひとつづつ判断して、引き算をし、最期に必要な動線を加える、ということがDIYのプロセスでした。
余談ですが、ここでやったことは、いわゆる「リノベーション」になると思います。しかし、普通のリノベーションは建物に価値を加えて別の使い方に再生する手法なわけで、取り壊して新築する建築行為への対抗手段なわけです。しかし、綾里で建物から引いたものと足したものを合算すると、マイナスになりますし、リノベ後の使い方も恒常的なものでなく、非常に「弱い」使い方になります。ですから、綾里でやったことは、新築に対抗する建築行為ではなく、どちらかというと建物の解体のプロセスの一部であり、いわば緩慢な解体プロセスということなんだろうな、と思いました。
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直前までギリギリの作業を重ね、何とか初日のオープンを迎える事が出来ました。「たぶん、年寄りは朝が早いから、オープン前に来ちゃうよ」というアドバイス通り、オープン前よりぼちぼちとお客さんに来ていただく事が出来ました。会場の様子は、山岸剛さんの写真にも詳しいです。
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前日の徹夜の様子
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お客さんがいらっしゃったら、なるべくマンツーマンでこちらのスタッフがついて、1つ1つの展示を説明しながら、お話を聞きながら廻ろう、と考えていたのですが、午前中が終わるころからそれが成立しなくなり、あれよあれよという間に初日は50人、4日間で290人のお客さんに来ていただけることができました。
お一人15分くらい滞在しているので、トータルで72時間くらいです。綾里の人口は2000人くらいですから、10人に一人以上はおいで下さった勘定になります。
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展示内容は以下のパンフレットの通りです。
入っていきなり住宅の実測図面(明治の青井哲人研と東大村松研岡村健太郎さんの共同作業です)が並んでいる、という、なんとも無愛想なスタートなのですが、いらっしゃった方々が、それらを食い入るように見ておられました。「古いお家はこうなんだよな~」ということを喋りながら、ご自身の住まいの記憶を辿りながら見ておられるようでした。小さな町なので、どの住宅の実測図面なのかがすぐに特定出来るので、「○○さんちだねえ」というふうに見ている方も多いようでした。少し離れたところに、会場となった佐々木邸の軸組模型や、佐々木邸の棟箱も展示していたのですが、それらも人気でした。
ついで、筑波の木村周平さんの作業である、綾里の各集落毎の地域組織や祭礼をまとめたパネルがあり、ここは文字数が多いので、スルーかな? と思っていたら、みなさん、自身の集落がどう記述されるのか興味があるようで、押すな押すなで見ておられました。
ついで、山岸剛さんが撮影した綾里の写真の展示でした。山岸さんの写真は、かなり硬質な手触りの、迫力のある写真なので、これを地域の人が見て、何を感じるのか?が、饗庭としても興味があるところだったのですが、写真を前にしたほとんどの人たちが、自分の生活と結びつけて、写真との距離をあっさりと乗り越えていたことが印象的でした。写真の前で賑やかなお喋りをしておられたことが印象的でした。
ついで、常葉大学の池田浩敬さんが今回の災害の避難について、饗庭が復興についておおよそをまとめたものの展示がありましたが、これはよくも悪くも期待通りの反応ではありました。
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Pamph
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最後に、小さなスペースを作って、調査の過程で発掘された、昭和29年の綾里村の映像、そして2000年の綾里大祭の映像を繰り返し上映しました。前者は60年前の風景、後者は15年前の風景で、どちらも「失われた」風景です。この二つの映像は、本当に、大人気でした。短くない上映時間なのですが、前に陣取って、繰り返し繰り返し映像を確認する風景が見られました。
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Kyaku
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会場の空間は木材を組み合わせただけの什器にパネルを展示するというシンプルなものでしたが、写真のようにご老人達がちょっと手をついて、展示の隙間から顔を出して話をすることが出来る、とてもよい設計でした。
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既述の通り、この博物館は、二つの問いに対して、答えのイメージを持たないまま枠組みだけをつくり、慌ただしく準備を重ねてスタートしました。次々とやってくるお客さんを案内しながら、ここで何が起きるんだろう?ということを一方の頭で考えながら過ごしていたのですが、こちらがわ(展示側のわたしたち)を含むたくさんの人たちとの賑やかなお喋りや、展示をじっくりと見つめる眼差しを見て、いろいろと得心がいきました。
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まず1つ目の「地域に小さな「場所」をつくることで、何が起きるだろうか」という問いに対する答え。 いらしゃった方々を見ると、殆ど地域内からの方が多く、関東などの遠方から来ていただいた方は数えるほどしかいらっしゃいませんでした。小さなコミュニティなので、普段から顔なじみの方も多いのですが、あらためて「津波博物館」というテーマを持った空間の中に居ることで、自ずと話題は津波のことになり、お互いが持っている記憶を、お互いに出し合いながら確認し合う、という風景が多く見られました。それは彼らが、部落会の会合等の機会で、折に触れて行なってきたことではありますが、津波博物館という空間を媒介として、そういった「地域の中での断片的なおしゃべり」が、1つの「大きなおしゃべり」へと構成されていったような、そんなことが起きたようにも見えました。
最後の日に、昭和津波で一家が全滅し、北上の親戚に引き取られた当時8歳のおばあちゃん(90歳!)が、岩手日報の記事を見て、「わたしは行がなくてはなんねえ」と、北上から2時間かけて会場にいらっしゃいました。ご自身が去られた後の綾里の歩みをしっかりと見ていただき、偶々会場にいらした地元の82歳の方と話をかわし、記憶を確かめ合うように長く話し込まれていました。こういう奇跡的な瞬間を生み出せる場所をつくることが出来たのは、本当によかったです。
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Last
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ついで、2つ目の「超長期のまちづくりを担保する計画とは何か」という問いに対する答え。
会場には、過去の津波や昭和の時代の綾里地区と、東日本大震災の津波とそこからの復興の二つの種類の情報を並べました。二つをバラバラでみるときに、多くの人は、前者へは「歴史」への視点(当事者ではない客観的な視点)、後者へは「現実」への視点(客観的ではない当事者の視点)、の異なる視点を切り替えて見ることになると思います。前者は歴史で、後者は計画、ということなのかもしれません。
しかし、意図したわけではないですが、会場の中ではその二つがごちゃごちゃと混ざって展示されており、見ている人の二つの視点が統合されていったような、そんな不思議な感じを受けました。例えば山岸さんの写真は、まぎれもなく、最近に撮影した現実を写しているわけですが、どこか遠い歴史の風景を写しているようでもありましたし、青井さんたちの図面は古い建物の歴史をなぞるようにつくられていますが、それを見ている人たちは自分の生活空間と地続きのものとしてそれをとらえている、ということです。
「二つの視点が統合された」眼差しを、どういう言葉であらわせばいいのか、まだよく分からないのですが、それは、とても興味深い眼差しでした。そして、それは、もしかしたら、「超長期のまちづくりを担保する計画」の根底にある眼差しなのかもしれません。
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博物館は、もう少し続けようと思っていますので、今年はもう少しいくつかの材料を展示してみて、二つの問いについて、もう少し考えたいと思っています。
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2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年賀状のデザインがやっと出来ました。(実物の配達はもう少しお待ち下さい。)
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2015年は、鶴岡で大手道のアーバンデザインのワークショップに取り組めたこと、綾里で仮設の津波博物館をつくれたこと、鶴岡で人口が減る時代のマスタープラン作成に取り組めたこと、単著「都市をたたむ」を3年越しで出版出来たこと、色々な人に関わってもらいながら3つの新しい授業をつくることができたこと、などが成果です。
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2016年は、少し中断していた東京の都市計画の研究を進めること、中国の人たちに日本のまちづくりを説明する本を書くこと、昨年に思いついた「都市への適応」というコンセプトを具体化するワークショップを重ねること、綾里の取り組みに一段落をつけること、新しく立ち上げる都市関係の学科をいろいろを整えること、もっと本を読む時間を増やすこと(電車の中で原稿を書かない)が目標です。
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みなさま、今年も引き続きお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。
Raku
上娘のカード
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Ren
中娘のカード
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Gyou
息子のカード

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