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2017年2月 5日 (日)

都市計画・まちづくりの10年についての小論

日本建築学会から刊行された「日本建築学会130年略史」に「都市計画・まちづくりの10年」という小論を寄稿しました。
130年を展望するのではなく、ここ10年ということで書いた原稿です。
書きながら、平成に入ってからの都市計画の変化=平成都市計画史を、ちゃんとまとめておかないとなあ、などと考え始めたので、こうした作業をもう少し続けたいと思っています。
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10年間の変化
 この10年間の都市計画・まちづくりの変化をどう捉えればよいか。本稿では、その変化を、官僚であれ市民であれ、人々がよい都市をつくろうと考えて意図して行った変化と、それに対して作用した「意図せざる変化」が合計されたものとして捉える。この10年間の「意図された変化」の主なものを筆者なりに整理をすると、①地方分権と規制緩和の流れ、②人口減少とコンパクトシティ化の流れ、③フローからストックへの流れ、の3つの流れがある。そして「意図せざる変化」は言うまでもなく、この10年間の折り返し時点でもある2011年に起きた東日本大震災である。この未曾有の「意図せざる変化」は、3つの流れを加速させたのだろうか、逆行させたのだろうか。本稿では3つの流れを学界の動向も交えて俯瞰しつつ、そこに「意図せざる変化」がもたらした作用を見ていきたい。
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①地方分権と規制緩和の流れ 
 地方分権と規制緩和の流れはともに2000年頃に枠組みが作られた。筆者はその枠組みを「都市計画の2000年枠組み」と呼んでいる。全国一律の都市計画だけではなく、地域性にあわせた都市計画を定める必要がある、そして地域においてしかるべきプロセスでそれを合意し、地域の主体がその合意形成や運用を担っていく、という枠組みである。「地域の主体」とは民間企業や市民であり、この枠組みは都市計画やまちづくりに二つの「キャピタル」、すなわち民間企業の持つキャピタルと個人の持つソーシャルキャピタルを動員する枠組みであるとも言える。地方分権の枠組みは90年代末の一連の都市計画法改正や地方分権一括法(1999年)などによって、規制緩和の枠組みは都市再生特別措置法(2002年)や90-00年代の一連の建築基準法の改正(天空率の導入、共用部の容積率不算入、民間建築確認の導入など)によって整えられた。
 地方分権の流れは遅い。法制度上は市町村に権限が移譲されたとしても、市町村がすぐに権限を使いこなせるようにならないからである。1999年から始まった平成の市町村合併がひと段落ついたのが2006年であり、この10年間は新しい市町村の形のもとで計画や制度が整えられ、都市計画・まちづくりが取り組まれ始めた時期である。その一方で特にこの10年間の後半期には、「コミュニティデザイン」という言葉に代表されるような、個人の持つソーシャルキャピタルを都市計画やまちづくりのために再編成する取り組みも増えた。学界の動向も、これらにあわせて市町村による都市計画制度の運用、自治組織やNPO等との関係のあり方といった点に研究が蓄積されている。
 ゆっくりと進む地方分権に比べると、規制緩和の効果は速い。2000年代初期の「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」などはバブル経済期前後に仕込まれたものであるが、それら先導的な都市再生プロジェクトに続くこの10年間は、2000年枠組みの影響を直接受けたプロジェクト、たとえば「あべのハルカス(2014年)」や「大手町連鎖型都市再生プロジェクト(2013年〜)」が続々と完成した時期である。そして、都市計画法の規制緩和がこういった大規模な土地に効果を与えた一方で、中小規模の土地には建築基準法の規制緩和が影響し、都市の中心部には中小の集合住宅が雨後の筍のように建つ街並みが、郊外部には3階建ての木造住宅を中心としたミニ戸建ての街並みが出現した。こうした規制緩和の流れに対する学界の動向は活発ではない。民間企業の開発に対して学界ができることは、どうしても事後評価になってしまうからだ。その中から、これから先の規制緩和の手綱を取るための知見が集積されるべきではあるが、現状はやや物足りない。
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 「地方分権と規制緩和」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。地方分権後の市町村の体制が組み立てられつつあるところを直撃したのが東日本大震災であった。特に被災地には規模が小さい市町村が多く、職員が多く亡くなったケースもあり、市町村は機能を失った。地域社会においても、多くの自治組織が高齢化し、力を失っていた。そのため、復興を進める体制を市町村ごと、地域ごとに独自に十分に組むことができず、中央政府や中央から派遣された専門家の関与、あるいはボランティアと称して地域に入りこんだ非専門家の関与を深めることとなり、「地域の主体」のイニシアティブ、あるいはそれらとの調整すら欠いた、乱雑な空間があちこちに整備されることになったし、空間の整備にすら至らず地域のガバナンスがいたずらに混乱しただけのところもある。「たられば」になるが、地方分権が十分になされたあと、例えば災害があと5年遅かったら今とは違う復興が行われていたのではないだろうか。また、一方の規制緩和についてみると、10年かけて蓄積してきた規制緩和の手法、民間のキャピタルを都市計画やまちづくりに動員する手法は、東日本大震災の復興には全く役に立たなかった。その手法が都市が成長することを前提とした手法でしかなかったためである。結局のところ、復興においては民間活力を活用することができず、旧来型の重厚長大な公共事業が息をふき返すことになった。
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②人口減少とコンパクトシティ化の流れ
 人口減少が正確にいつスタートしたのかは後年の統計を待たなくてはならないが、この10年間は人口減少とその時代の都市像としてのコンパクトシティについて、先駆的な取り組みとそれを踏まえた制度化が進み、学界でも研究の蓄積が大幅に進んだ時期であると言える。都市再編(富山市や夕張市など)、公共施設再編(鶴ヶ島市や秦野市など)、空き家(尾道市や鶴岡市など)といった個々の領域ごとに先駆的な実践とその評価が行われ、2014年以降には、立地適正化計画(都市再生特別措置法の改正)、公共施設等総合管理計画、空家等対策の推進に関する特別措置法、地域公共交通網形成計画・地域公共交通再編実施計画(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の改正)などが相次いで制度化されて、市町村がコンパクトシティ化に取り組むための枠組みが整えられた。ただし、整ったのは法的な枠組みだけであって、その中身は市町村のこれからの取り組みにかかっている。①で述べた分権の大きな流れの中でつくられる市町村の枠組みが問われる。その一方で、土地所有単位が細分化した我が国において、コンパクトシティが簡単にできないことも明白である。どのように現実的な、実効性のある都市像を描き、実現手段を組み立てていくかが問われている。日本建築学会においても「人口減少の時代に向けた都市の再編モデルの構築 特別調査委員会」より「CMAによる地域の空間再編と地域経営」という提言が出されている。
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 「人口減少とコンパクトシティ化」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。東日本大震災の直後にも、市街地がまとまって高台に移転するような、極端なコンパクトシティ型の都市像が議論されたように、当初は後藤新平よろしく、災害復興を機に理想の都市像を実現しようという雰囲気があった。しかし現実には、被災した人々は「安全なところに住みたい」と思いこそすれ、「集まって住みたい」とコンパクトシティを指向することはなかったし、都市像の議論が十分にできないまま、防潮堤や防災集団移転促進事業といった個別の事業が降り注いだため十分な調整もされなかった。被災した人々はとうに高台に住居を確保しているのに、行政は低地の旧中心市街地を捨てることができず、そこに公共事業を集中させている、という状況もある。岩手や宮城では、守るべき市街地の無い防潮堤が建設され、低地に誰も住まないような市街地が造成されつつあり、福島の住民は帰還を志向する人、しない人、さらに遠方に避難する人など、いくつかの場所に引き裂かれてしまった。つまり、東日本大震災からの災害復興は結果的に都市の分散を加速するようにはたらき、コンパクトシティ化を加速させる方向にはあまりはたらかなかった。逆にこれを、コンパクトシティという理想を被災者に押し付けず、被災者の個々の意向にあわせたなるべく早い住宅復興を目指した結果である、と積極的に評価することもできる。
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③フローからストックへの流れ
 建築物のフローからストックを重視する流れ、スクラップアンドビルドではなくリノベーションを重視する流れが、この10年間に単体の建築だけでなく、都市計画やまちづくりにおいても大きな流れとなり、研究や実践が進んだ。従来の都市計画はスクラップアンドビルドを行って都市の機能を向上させる手法しか持っていなかったが、小さな空き家を活用して都市施設をつくる、小規模なリノベーションを連鎖させて市街地を面的に変化させる、街路や公園などの公共空間をリノベーションして「パブリックスペース」へと賦活するという方法が発達し、制度に組み込まれた。また、新しく作られる都市空間をストックとしてとらえ、そこの価値が下がらないようにするために、「エリアマネジメント」を組み込むという方法も一般化した。いずれも、人口減少がはっきりとした傾向となり、事業採算性の面からスクラップアンドビルド型の増床型新規開発が成立しない地域や敷地において、事業のリスクを低くし、多くの人が関わってそのソーシャルキャピタルを再編成する手法として期待されていることが多い。その意味では①や②の流れと分かちがたい流れであると言える。
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 「フローからストック」の流れに対する「意図せざる変化」の影響を見てみよう。災害はこの流れへの向かい風にしかならない。東日本大震災は厖大な数のストックを破壊し、すでに縮小が始まっていた東北の新築住宅市場を一時的に活性化し、ストック利用の市場を相対的に弱めた。また、災害で新たなリスクが明らかになり、それまで安全な場所に建ち、十分な対災害性能を持っていたと信じられていたストックに建替えを迫ることになった。また、東日本大震災以降、多くの新しい開発が「都市の防災性能の向上」を錦の御旗として推進され、スクラップアンドビルドの大義名分として「防災」が前面に打ち出されることにもなった。新規の大規模開発プロジェクトに、近隣住民の避難スペースや非常時の発電装置を備えたものが増えたのである。東日本大震災がなければ、ストック重視の流れはもう少し違ったものになったと考えられるが、つくりあげた都市空間が常に災害にジャッジされるのは我が国の宿命である。これからも災害が起きるたびにフロー重視とストック重視のバランスが規定されていくのであろう。
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アポリアが顕在化した10年間
 この10年間の3つの「意図された流れ」に対し、東日本大震災という「意図せざる変化」が、それぞれの流れを逆行させるように働いた。災害大国である我が国が宿命的に抱えるアポリアであり、これを解けないまま次の時代を迎えることになるのではないだろうか。戦後史の中でこの10年を位置付けてみると、1995年までは奇跡的に災害が少なかった50年間であり、その後のアポリアが顕在化した20年間のピークが2011年以降であると言える。これ以上アポリアが複雑化しないことを祈るばかりである。

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