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2017年2月23日 (木)

「まちづくり教書」を刊行しました

恩師佐藤滋先生の退職にあわせて、弟子ども(とかわらずパワフルな師匠)で力をあわせて、これまでの佐藤研究室を中心としたまちづくりの取り組みと理論を俯瞰するような本をつくりました。
タイトルは「まちづくり教書」、まちづくりに関わる方々にはなるべく読んでいただき、私たちが自信たっぷりにじたばたしてきたことに、是非とも一撃をくらわしていただきたいと考えています。
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饗庭はこのなかに「まちづくりの広がりと展望」「まちづくりのプランニングと研究者の実務論」「協働型の計画システムとマスタープラン」の3つの論を寄稿しました。一つ目は私なりの歴史の総括と今後への展望、二つ目と三つ目は個別の技術についての論です。
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「まちづくりの広がりと展望」では、下の図を使って私なりの史観を説明しました。この図はもともと昨年の10月末に開催された、石田頼房先生を偲ぶ会にて発表の機会をいただいた時に描いてみたもので、石田先生が中曽根民活あたりの規制緩和の流れを「反計画」とよんで、ややきつい調子で批判されていたのに対して、それ(この図では「都市再生」と呼んでいます)も、まちづくりも、実は近代都市計画を上書きするための同根の兄弟であった、ということを示したものです。兄弟は仲が悪く、兄はどんどん先細っていくような気がしなくもないのですが・・。(最後は弟が介護したりして。)
定量的ではなく、定性的ですらない、ただの挿絵ですが、わたくし自身、これからの仕事を展開していく時の頭の整理に使える図になったのかなあ、と思っています。
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Fig1
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「協働型の計画システムとマスタープラン」では、下の図を作りました。日本の都市計画のマスタープランは分権とともに導入され、かつ、市民協働というスタイルとともに導入されました。もう少し早い時代、たとえば70年代に新都市計画法とともに導入されていたら、マスタープランは違う形になったのでしょうが、導入された時代状況によって、マスタープランが社会においてどのように存在感を発揮するのかが違ってきます。この図は「市民協働」という状況においては、マスタープランは左のような階層的なものではなく、それぞれの分野別のマスタープランに、そのマスタープランを介して繋がっている名前のある主体群が発生し、様々な分野のマスタープランを中心として発生する名前のある主体がつながりあった地域社会が形成されるのではないか、このように捉えた方が、肩の力が抜けてすっきりするのではないか?ということを描いたものです。
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Fig2
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「まちづくりのプランニングと現場論」では、特に新しい図を作らなかったのですが、60年代や70年代ごろに強い影響を与えた「アドヴォカシープランニング」の幻影を葬り去るつもりでテキストを書きました。アドヴォカシープランニングと対置する概念として「まちづくりのプランニング」をあげ、その特徴を「「聞きすぎない、集めすぎない」「一体化しない」「微細な違いを際立たせる」「決定を委ねない」という点にまとめて論じたものです。このテキスト、個人的には都市計画のプランナー論の大事なところの歯車を回したつもりなので、是非ともご批判をいただければ・・
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ということで恩師も引退。2月4日の最終講義は超満員でした。
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